いている。哀れなる女よ、男と対等に歩もうとするには余《あま》りに遅れている。我我は早くこの径《こみち》より離れて追い縋《すが》りたい。
 総てに無自覚であった従来の女に貞操の合理的根拠を考えた者のないのは当然であるとして、あれだけ女子の貞操を厳しくいう我国の男子に、今日までまだ貞操を守らねばならぬ理由を説明した人のないのは不思議である。
 貞操の起原についてもまた我らは何の教えられる所もなかった。
 自分の乏しい智識で考えて見ると、元始的人間に貞操というような観念を自然に備えていたとは想像することが出来ない。古代に溯《さかのぼ》って見ればいずれの国民も一婦多夫であり、また一夫多妻であった。また家長族長としての権利を男よりも女の方が多数に所有していた。今でも西蔵《チベット》その他の未開国には一婦多夫と女の家長権とが古代の俤《おもかげ》を遺《のこ》している。文明国においても娼婦《しょうふ》や妓女《ぎじょ》のたぐいは一種の公認せられた一婦多夫である。一夫多妻に到ってはいずれの文明国にも男子の裏面に誰も認める如く現に保存されている。
 男子の本能の自躍するままに女子を選んだ元始的時代にあっては、後世の男子が我儘《わがまま》に玩弄物《がんろうぶつ》の如く女子を選ぶよりも、更に数層|甚《はなはだ》しい強圧即ち暴力を以て女子を掠奪《りゃくだつ》したのであるから、当時の女子に純潔を持《じ》することの出来なかった事は想像が附く。
 その当時の男女は食物を集める事と、舞踏し歌う事とに日を送ったが、男子は特に女子を奪うことに由って敵の男子と戦わねばならなかった。勿論当時の人間には国籍も住所も定《さだま》っていない。水草を追うて浮動する小部隊が錯落《さくらく》として散在した事であろう。今日|謂《い》う所の如き「家」とか「社会」とかいう観念のなかったのは勿論である。
 男子が他の男子と女の愛を競争し、一旦我手に掠奪した女を独占しようとするのは自然の性情である。其処に激烈な嫉妬が起ったに違いない。あるいは嫉妬は本来男子のものであって、それが女子の性情となったのは後世の事でないかとさえ思われる。
 女子に自ら純潔を持することの出来なかった時代に貞操の観念が女子に自発しようとは想われぬ。唯《た》だ女子の持っていたものは甲の男子を愛して乙の男子を厭《いと》うという自然の好悪《こうお》に過ぎなかったで
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