くと、河原なのです。河原は夏なんか涼しくつてねえ。」
「継母は。」
「継母はこはいこはい継母でしたよ。こはいこはいこはい。」
 私はかう云つて、次に云ふことを考へなければなりませんでした。
「私の家《うち》は友染屋《いうぜんや》なのです。縮緬《ちりめん》の友染屋なのですよ。あれはね、染めた後《あと》で川で洗はなければならないのです。私なんかも洗うのですよ。ぢやあないと継母が叱りますからねえ。」
「まあえらい、洗濯をしなはつたの。」
「ええ、日に二十|反《たん》位洗つては河原へ乾《ほ》しますの。」
「雨が降つたらどうするのだす。」
「そしたら雨が降つて来たのです。困つてねえ、私は。雨の水と川が一緒になつて、縮緬が流れるでせう。私は継母に叱られますから、何でも拾はうと思つてね、ずん/\加茂川の岸を走つて追つかけたのです。走つて走つて一晩走つて居ると、伏見《ふしみ》へ来たのです。」
「拾へたのだすか。」
「いいえ。」
「まあ。」
「たうとう見失つてしまつたのでせう。継母に叱られたらどうしようと思つて私が泣いて居ると、親切なお婆さんが来てね、私をその家《うち》へ伴《つ》れて行つてくれたのですよ、私の子におなりなさいつてね。」
「まあよかつたこと。」
「けれど貧乏でね、お米ではなくて藁《わら》でお餅なんか拵《こしら》へて食べるだけなんです。」
「藁でお餅が出来《でけ》るんですか。」
「出来《でき》るんですよ。それにね豆の粉《こ》を附けてお婆さんは売りにも行くのです。清水《きよみづ》さんの滝の傍へ茶店を出してねえ。」
「清水さんは京だすか。」
「ええ、滝が三本になつて落ちて居てね、人が何時《いつ》も水を浴びてます。」
 自分の見た時がさうだつたものですから。
「その人が藁のお餅を買ふのだすか。」
「もつと外《ほか》の人も買ふのです。よく売れてね、忙しくつてね、夜分まで家《うち》へ帰れないのです。お婆さんが先に帰つて、私が後《あと》で店をしまつて帰るのでしたがね、大谷《おほたに》さんと云ふお墓のいつばいある山を通るのですから、恐くつてねえ。」
「こはいこと、まあ。」
「さうしたらある時|人取《ひとと》りが出て来たのですよ、頬かぶりして刀を差してね、それから手下が二人です。手下は槍を持つて居るのです。」
「刺されたんだすか。」
「ええ、突かれたけれど、もう癒りました。」
「何処《どこ》だすか。」
「此処《ここ》です。」
 私は脇腹を手で押へました。
「盗賊《どろぼう》は私を箱へ入れて、支那《しな》へ伴《つ》れて行かうと思ひましてねえ。乗せられたのですよ船へ、船に酔ふと苦しいものですよ。目が赤くなつて、足がひよろひよろになつてしまふのです。」
 私は酒酔《さかゑひ》と船暈《ふなゑひ》を同じやうに思つて居たのです。
「そしたらひどい浪が起つて来てね、私の乗つた船が壊れてしまつたのです。私の入れられて居た箱も割れたので、丁度《ちやうど》よかつたけれど。私はそれでもう気を失つて居たのですがねえ、今度目を開いて見ると堺《さかひ》の浜だつたのです。」
「燈台が見えたのだすか。」
「ええ、夜でしたから青い青い灯が点《とも》つて居ましたよ。」
「それから鳳《ほう》さんの子になりやはつたのだすか。」
「ええ。」
「まあ可哀相な方《かた》。」
「継子なんて、ちつとも知りまへんだした。」
「気の毒だすなあ。」
 私の傍に居る人が四五人泣き出しました。さうすると誰も誰も誘ひ出されたやうに涙を零《こぼ》しました。嘘を云つた私までが熱い涙の流るのを覚えました。


私の生ひ立ち 六 火事

火事

 ある夏の晩に、私は兄弟や従兄《いとこ》等と一所《いつしよ》に、大屋根の上の火の見台で涼んで居ました。
「お月様とお星様が近くにある晩には火事がある。」
 十歳《とを》ばかりの私よりは余程大きい誰かの口から、こんなことが云はれました。そのうち一人降り二人降りして、火の見台には私と弟の二人だけが残されました。
「籌《ちう》さん、あのお星様はお月様に近いのね。そら、あるでせう一つ。」
「さうやなあ、火事があるやら知れまへんなあ、面白い。」
「私は恐い。火事だつたら。」
「弱虫やなあ。」
 弟はかう云つてずんずん下へ降りて行きました。私はその後《あと》で唯《たゞ》一人広い広い空を眺めて、小さい一つの星と月の間を、もう少し離す工夫はないか、焼ける家の子が可哀想で、そして此処《ここ》まで焼けて来るかも知れないのであるからと心配をして居ました。
 その晩の夜中のことでした。私の蚊帳《かや》の外で、
「火事や。」
「火事、火事。」
と云ふ声が起りました。耳を澄まして見ますと、家の外をほい/\と云ふやうな駆声《かけごゑ》で走る人が数知れずあるのです。家の中にはまた彼方此方《あちこち》をばたば
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