廻して云ふ乞食もあるのでした。
「鉛筆でもえゝ。色紙はないのか。」
何物かを私等から取り上げないでは済まさないと云ふ風《ふう》なのです。二人は唯《たゞ》胸をわくわくさせて居るばかりでしたが、そのうち巡査の影が見えたのでせう、乞食はまたばら/\と逃げて走りました。
加賀田おみきさんが病気か何かで暫《しばら》く休んで居たせゐなのですか何時《いつ》の間《ま》にか二人は一級違ひになつて居ました。おみきさんは小さい頃は習字などが私よりもずつと上手で大抵の試験に一番の席を取つて居た人でした。人形のやうに毛の厚いおけしを頭に置いた、色の白い目の切れの長いおみきさんは小さい声で物を云ふ人でした。
底本:「私の生ひ立ち」刊行社
1985(昭和60)年5月10日発行
入力:武田秀男
校正:福地博文
1999年3月3日公開
2001年11月16日修正
青空文庫作成ファイル:
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