処《ここ》との懸隔が余りに甚しいので、初めの廊下を曲つて更にまた折れた所の廊下がまた長く、然《しか》も庭の向うにはまだ幾棟かの建物があるのですから、それを見まして、心細いやうな一種の悲哀を覚えまして、
「私もう帰ります。帰りたくなつて来ました。」
と私は云ひました。
「何故《なぜ》。」
と加賀田さんは失望したやうに云ひました。
「何故でも帰りたくなつたの。」
「私の部屋がまだ遠いからだすか。帰りには彼方《あちら》から行けば直ぐ玄関へ出られます。」
と云はれましたけれど、私は、
「また来ますから今日は帰らせて下さいな。」
と云ひ通して、何千石かの酒の造られる匂ひの何処《どこ》からとなくする加賀田さんの家《うち》を出て来ました。それから間《ま》もなしに、加賀田さんが私の家へ来てくれたことがありました。私はそれまで外の方《かた》の処へ行つたことも尠《すくな》い代りに友達を家に迎へたのもこれが初めでした。ですからこんな時にはどうして遊ぶものか、友達も自分も面白いやうにするのはどうするのかが私の経験のないことで解らないのです。街の中の狭い家ですから庭などは四|坪《つぼ》か五坪位よりもないのですからどうしても室内で何かをしなければならないのです。人形を並べたり、小切《こぎれ》を出して見せたりはしても直ぐまた二人は膝の上へ手を重ねて置いて、今に楽みと云ふものが二人の傍《そば》へ自然に現れて出て来るはずだと云ふ風《ふう》に待たれるのでした。加賀田さんが、
「私もう帰ります。」
と云ひ出しました。
「さう。」
 私は悲しくなりました。
「帰りたうなりましたから。」
「そんならお帰りなさいな。」
 前の時に私がしたことを思ふと留《と》めることは出来ないのでした。かうして二人の会合は二度とも失敗に終つたのです。
 それから一年か二年か経つてのことだと思ひます。次のやうなこともありました。学校のお午《ひる》に生徒の半分程は自家《うち》へ帰つて食事をする人でしたが、私も加賀田さんもその仲間でした。それで或時私は、
「ねえ加賀田さん、学校では好きぢやない方《かた》も交つて遊ぶのですから、私それよりもいゝことはないかと考へましたの、あのお午《ひる》に帰りました時ね、学校の太鼓のなるまでお旅所《たび》の処の大きい燈籠《とうろう》へ上つて遊ばないこと。」
 こんな提議を加賀田さんにしました。
「さう
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