て居る自由を羨まずには居られませんでした。私のために鋏《はさみ》を取つて来て薔薇の花をしよきしよきと切つて落しました。鉢植のも花壇のも高い木に倚《よ》つて咲いたのも好《い》いのは皆切つてくれました。赤いのなどは香《か》が悪いと云つて白や薄黄や薄水色やばかりを切つてくれました。其《その》日私が姉の前で開きました包から百ばかりの薔薇の出ました時の心もちは今思ひ出しましても興奮される程嬉しいことでした。二人がお茶の稽古に行きます日、その初《はじめ》に師家へ納めます金のことで、
「束脩《そくしう》と云ふのでせう。」
と楠さんは云ひ、私はまた、
「脩束《しうそく》ぢやなかつたかしら。」
こんな間違ひを云つた記憶もあります。河井酔茗《かはゐすいめい》さんなどの仲間へ私を紹介した人もそれから幾年か後《のち》の楠さんでした。
私の見た少女 おさやん
おさやん
おさやんと私は従妹《いとこ》です。真実《ほんたう》の名前は龍野《たつの》さくと云ふのです。私とおさやんは同年《おないどし》でしたけれども、おさやんは三月に生れて私は十二月に生れたからまあ一歳《ひとつ》違ひのやうなものだと私の母であるおさやんの叔母が何時《いつ》も云ひますのを、私は小い時分から真似して其《その》通りのことを云つて居ました。それにおさやんは龍源《たつげん》の叔母の子として一番大きい子で、私は兄弟の中で末つ子に近い方でしたから、一方は大人びて私は子供々々しくて三月と十二月の違ひばかりでなくおさやんは私を妹あつかひにして居ました。おさやんの家は酒屋でした。なつかしい、気の好《い》い遊び相手だつたおさやんを思ひますとまづ目に山のやうに高い大きい酒樽《さかだる》の並んだ幻影《まばろし》が見えます。光線を多く取つてない私の郷里などの古い建築法で造られた家は、中の土間へ入ると冬でも夏でも冷々《ひや/\》とした風が裾から起つて来るのでした。中浜通りの小林寺町《せうりんじちやう》と云ふ所にそのおさやんの家はありました。私は大抵の場合自分の家の「べい」と私が極く小い時分から私だけの特殊な呼名を附けて居た老いた女中と一所《いつしよ》に龍源へ行きました。もう一人の叔母の家がその二三町先にありまして、私は其処《そこ》へ行つた帰りを龍源へ寄るのが例でした。黒くなつた大きい酒屋看板を遠くから見て私の小い胸は先づ轟《とゞろ》いたもの
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