》つて居ました。楠さんは裁縫科の生徒だつたのです。顔だけを見知つて居まして私と楠さんは物を一言云つたこともないままで二年生になつてしまひました。丁度《ちやうど》其《その》頃高等師範をお出になつた遠山《とほやま》さんと云ふ方が東京から私等の先生になりに来て下さいました。遠山先生はおいでになつて間もなく修身の時間に、今日は裁縫科の方に希望を述べるとお云ひになりまして、
「あなた方は裁縫を重《おも》に習つてお家《うち》の手助けを早く出来るやうになるのを楽みにしておいでになるのでせうが、私は少しあなた方に考へて頂きたいことがあるのです。女は裁縫をさへ上手にすれば好《い》いと思ふのは昔風な考へで、世界にはいろいろな国があつて知慧の進んだ人の多いこと、日本もそれに負けて居てはならないと云ふことを思ふことの出来る人なら、智慧を磨くための学問の必要はないなどとは思へない筈《はず》だと思ひます。」
こんなことからお説き出しになつて、一身上の事情が本科を修めてもいい人なら皆本科にお変りなさいと云ふことをお云ひになりました。その次の週に今迄本科の教場で誰かの空席を借りて講義を聞いた裁縫科の生徒の二人が私達の机の傍《そば》に自席を持つやうになりました。その一人は楠さんでした。感心な方《かた》だと思ひながらも人一倍はにかみの強い私は楠さんに特に接近をしようとも思ひませんでした。今一人の人のことは忘れてしまひましたが楠さんは其《その》次の学期試験に一番になりました。其《その》時の皆の嫉妬はひどいものでした。楠さんは気の毒なやうに憎まれました。私は楠さんの年齢《とし》を自分達よりも六つ七つも上のやうに噂をする者があつても、そんな筈はないと理性で否定をして居ました。遠山先生の所へ学科の復習をして頂きに行つたと云ふことを聞いた時にはまた、そんなことも必要ならしてもさしつかへはない、楠さんは自己のために善を行つたのだと判断をしました。席順で並べられてあつた机も私のと楠さんのとは極く近かつたのですから、其《その》時分から私は楠さんと交際をし初めました。或時私は楠さんに、
「今月のせわだ文学と云ふ雑誌に面白いことが載つて居ました。」
こんなことを云ひました。
「せわだ文学、せわだ文学。」
と楠さんは首を傾けました。
「早いと云ふ字と、稲と云ふ字と、田と云ふ字を書くのです。」
「それではわせだ文学でせう
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