聨想したが、私には此の冬枯の庭にある木のなかで、此の紅梅だけが明けて十一になつた末の娘のやうな氣がする。貧しい中に育ちながら、末の娘は品好く生長してゐる。私達の子供の中で此娘だけが文學的である。細やかに痩せて、よく風を引いて熱を出すやうな體質は氣遣はれるが、氣立の優しいのと、讀書と創作が好きで、豐富な空想を持つてゐるのとが、本人自身を樂ませてゐる。早く親に別れる運命を持つてゐて物質的には苦むであらうが、その文學的であることが、人知れず一生の慰安となるかも知れない。正月二日のはげしいから風で紅梅が大分吹き散らされた。さうして末の娘はその夕方から熱を出して寢てゐる、私は今朝も娘の寢臺の傍で人から來た賀状を讀みながら、猶をりをり窓越しに紅梅を眺めてゐる。[#地から3字上げ](一九二九・一・二)
底本:「定本 與謝野晶子全集 第二十卷 評論感想集七」講談社
1981(昭和56)年4月10日第1刷発行
入力:Nana ohbe
校正:今井忠夫
2003年12月15日作成
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