紅梅
與謝野晶子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)臙脂《べに》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](一九二九・一・二)
−−

 私の庭に早咲の紅梅が一本ある。東と南の光を受けて、北を建物にふさがれてゐるためか、十二月の半からぼつぼつ蕾を破つてゐる。色は桃のやうに濃くも無く、白い磁器の上に臙脂《べに》を薄く融かしたやうな明るさと可憐さとを持つた紅である。私は歳末から此の歳端へかけて快晴がつづくので、毎日一度は庭へ下りて、霜解のあとの芝生を踏んで歩き、友人を訪ふやうな心持で落葉した木木を見上げ、最後に此の紅梅の傍へ來て暫く立つてゐる。そつと枝を引き、脊伸びをして一つの花を嗅ぐこともある。ほのかながら心に徹する清い香である。支那の詩人が「寒香」と云つたやうな好い熟語の我が國語に無いのが惜まれる。東坡が紅梅を詠じて「寒心未肯隨春態、酒暈無端上玉肌」(寒心未だ肯て春態に隨はず、酒暈端無く玉肌に上る)と云つたやうな妙句は、我國の歌にも新しい詩にも見當らない。併し東坡の心には酒があるので、紅梅を見ても微醺を帶びた仙女を
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング