したの。』
男は顔を妻に向けた。
『あ、あ。』
今度は甘えたやうな吐息が女の口から出て、そして媚びる目附で男を見た。帰りたければ帰れば好いぢやないかと一寸強く威された時、一先づ負けて出る何時ものそれが、間違つて一足先きに出たのだと女は自身の様子に気がついた。
『淋しいのね。』
『ふむ。』
と云つたまま男はまた書物の上に目を落した。
『煙草を頂戴。』
『さあ。』
男は藤色のルバンの箱を左の手で持つて出した。
『厭、火を附けてよ。』
舌打ちをしながらルバンを一本出して口に銜へて、手元にあつた燐寸の大箱から正臙脂色のじくに黄な薬が附けてある花の蘂のやうな燐寸を一本出して擦つた。女は黙つて見て居る。火を附けた煙草を男は無意識に其儘飲んでまた本に読入つた。女はそつと立つてルバンの箱と燐寸とを盗むやうに長椅子の上に取つて来た。
『上げやう。』
気の附いた男が煙草を口から取つて見せるのを
『いいのよ。』
首を振つて女は見せた。
『失敬した。』
『あんなことを云つて、いいんですよ。』
『おまへ昨日あたりからおとなしくなつたね。』
と云つて男は本を下向けた。
『さう。』
女の目には涙が
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