き見る事があるやうだけれど。』
時々男が見ると云ふのは、この家の中では一番贅沢な飾りのされてある下の広間の戸口を開けたままで、寝台の上に手や肩を出してだらしなく寝そべつた時のあの女なのであらうかなどと女は思つて居た。下で木戸のがたんと閉る音がして、早足で敷石の上を歩いて来る靴の音がするので、女はまた顔を外へ出した。
『あら、奥さん、いいお帽子。』
と西斑牙女がはしやいだ声を低い金網垣の外へ掛けた。四人の目の前を
『今日は。』
聞えない程に云つて逃げるやうに薔薇の帽が上り口の石段を駆け上つた。
『あら、キキですわ。』
驚いたやうに女が云つた。
『キキが珍しいのかい。』
と云つて、男は立ち上らうとした。
『だつて、だつてもうお腹《なか》が大きくないのだもの。』
『嘘だらう。』
靴を穿いた男は草履穿の背の低い女の肩に手を掛けて下を覗いた。
『もう入つちやつたわ。どうしたのでせうね、それに好いなりをしてたわ。』
『少し妙だね。』
男は下から目を上げたルイと顔を見合せて
『今日は。[#「。」は底本では脱落]』
と云つて、首を一寸下げた。女はすつと窓から身を引いた。机の前の今迄男の居た椅子に掛けて
『踊子は綺麗でせう。』
と女は云ふ。
『さうだね、目が悪いから輪廓位しか見えないけれど。』
男が何時も自分に対して用心深く遠い所に線を張つて居るのが憎いと女は思つた。
『二階の伊太利亜人はどう。』
『あの人も出て居るかい。』
『出て居ないでせうよ。』
女は口早に云つた。
『今夜はハルギエエルへ行きませうか、あなた。』
『行つても好いよ。おまへが行きたければ。』
『そんなことをお云ひになると私の恋人でも彼処にあるやうね。』
男は長椅子に掛けて、其処にある煙草を飲まうとして居た。
『さう岸の禿頭だの、後藤の胡麻塩だの。』
『結構ですね、自分が一番立派だと思つて居らつしやるのだから。』
女も長椅子の方へ行つた。とんとんと扉を叩く音がする。
『お入り。』
と云ふと、女中のマリイがにたにたと笑つて首を振りながら入つて来た。掃除に廻つて来たのである。
『おいキキの奥さんはどうしたの。』
また窓の所に行つて立つて居た男は、赤い羽蒲団に手を掛けてめくりかけたマリイに云つた。
『キキ。』
マリイが問ひかへした。
『さう、さう。』
男が云ふと、其間休めて居た手を動かして
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