這つて居るのでせう。山は代赭と緑の絵の具を無茶になすり附けたやうな色。一番冷い色をしたのが間にある街なんでせう。ですからね、却て向うの方が水の流れて居る川のやうなのです。
 わたしは前の川をセエヌ川かしらと思ひました。又さうぢやなからうと思ひました。わたしはもう地図なんか出して見られやあしない。わたしの手はもうぶるぶると慄えて居ます。何が出来ますものですかねえ。
 川が見えなくなつたり、その川と思ふやうな水を渡つたり、さうかと思ふとまた以前と同じ方角に同じやうな川があつたり、細くてそして房々とした枝の木が多いそんな林を通つたり、崖と崖の間を通つたりして居るうちに、石ばかりで出来上つたやうな小都市の上を通つて行くのでしたわ。お墓のやうな気のする清い街だと思ひましてね、私はまた思はず廊下へ出ましたの、四五人も窓から外を見てましたわ。此方側の方はその綺麗な家の壁などとすれすれに[#「に」は底本では脱落]なつて行くのでした。[#「。」は底本では脱落]青い羽蒲団を窓へ出して居る娘さんや、はたきを肩にかついだやうな形のままで立つて居た女中なんかとわたしも真近に顔を合せましたわ。
 それから一時程経ちました。汽車がもう巴里の停車場の構内に入つて行くらしい。大きな機関車の壊れたのを見るやうな停車場のかかりだとわたしは思つてました。けれど、けれどまだなかなか長いのです。
『奥様、巴里ですよ。』
『ええ。』
 わたしは自室から飛び出したわ。車丁は棚からわたしの荷物を下し初めたでせう、きつとね。もういよいよ汽車が止りさうなので昇降口まで出て行きました。
 日本人が一人居りました。けれど知らない人です。頑丈な風の髭のある。わたしの良人より少し老けたやうな人でした。わたしはもう良人が何処か其処等に来て居るに違ひないと思ひましたわ。わたしはこの人が誰であるかと云ふ判断を早くしたくて仕方がない。良人の居る家の直ぐ隣においでになるのは桜井さんと云ふ京都の画家で、非常な美男でいらつしやるつて良人はよく手紙に書いてよこしましたがねえ、良人はわたしがさうした綺麗な顔の人が好き、さう云ふ人の噂が好きで居るもんですから、いいかげんな嘘を云つて来て居たので、この人が真実の桜井さんなんだらうとわたしは思つたんですわ。丁度わたしが其方の前まで行つた時に汽車は死んでしまひました。脈の早いわたしの身体に此べてさう思ふ
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