人はすべての禍根《かこん》を作った方であると、もう愛は覚えずなっているのであるが、そのおりの光景だけはなつかしく目に描かれた。
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かきくらす野山の雪をながめてもふりにしことぞ今日も悲しき
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などと書いたりする手習いは仏勤めの合い間に今もしていた。自分のいなくなった春から次の春に移ったことで、自分を思い出している人もあろうなどと去年の思い出されることが多かった。そまつな籠《かご》に若菜を盛って人が持参したのを見て、
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山里の雪間の若菜摘みはやしなほ生《お》ひさきの頼まるるかな
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という歌を添えて姫君の所へ尼君は持たせてよこした。
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雪深き野べの若菜も今よりは君がためにぞ年もつむべき
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と書いて来た返しを見て、実感であろうと哀れに思うのであった。尼姫君などでなく、宝とも花とも見て大事にしたかった人であるのにと真心から尼君は悲しがって泣いた。
寝室の縁に近い紅梅の色の香も昔の花に変わらぬ木を、ことさら姫君が愛しているのは「春や昔の」(春ならぬわが身一つはもとの身にして)と忍ばれることがあるからであろう。御仏に後夜《ごや》の勤行《ごんぎょう》の閼伽《あか》の花を供える時、下級の尼の年若なのを呼んで、この紅梅の枝を折らせると、恨みを言うように花がこぼれ、香もこの時に強く立った。
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袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春のあけぼの
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姫君のその時の作である。
大尼君の孫で紀伊守《きいのかみ》になっている人がこのころ上京していて訪《たず》ねて来た。三十くらいできれいな風采《ふうさい》をし思い上がった顔つきをしていた。大尼君の所で去年のこととか、一昨年《おととし》のこととかを訊《き》こうとしているのであったが、ぼけてしまったふうであったから、そこを辞して叔母《おば》の尼君の所へ来た。
「非常に老いぼれておしまいになりましたね。気の毒ですね。御老体のお世話をすることもできずに遠い国で年を送っていますのは相済まぬことだと思っているのですよ。両親のいなくなりましてからは、お祖母《ばあ》さんだけがその代わりのたいせつな方だと思って来たのですがね。常陸《ひたち》夫人からはたより
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