した下童《しもわらわ》がついこのごろ宰相の実家のほうへ来まして、確かなことのように申していたそうでございます。そうした死に方をなさいましたことを世間へ知らすまい、自殺などという思いきったことをした人だと言わすまいと皆が隠すことに骨を折ったそうでございます。それで大将さんもくわしいお話をあそばさなかったのではないでしょうか」
「その話をまたほかへ行ってするなと宰相からお言わせよ。そうした問題で宮は自身をだいなしにしておしまいになることにもなり、世間からも軽蔑《けいべつ》されることにおなりになるだろう」
こうお言いになって、中宮は非常に御心配をあそばす御様子であった。
それからまもなく一品の宮から女二の宮へお手紙が来た。御手跡のおみごとであるのを見ることのできたことが薫にはうれしくて、期待にはずれないごりっぱさである、もっと早くこれが拝見できる方法を講ずべきであったなどと思った。多くの美しい絵などを中宮からもお送りになった。お礼として薫からもそれにまさった絵を集めて差し上げることにした。小説の芹川《せりかわ》の大将が女一の宮を恋して秋の日の夕方に思い侘《わ》びて家から出て行くところを描《か》いた絵はよく自身の心持ちが写されているように思われる薫であった。その人のように成功すべき恋でないのが残念であった。
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荻《をぎ》の葉に露吹き結ぶ秋風も夕べぞわきて身にはしみにける
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と書き添えたい気がするのであるが、そうしたことは気《け》ぶりにも知れたならばどんなことの言われるかしれぬ世の中であるからと、思うことすらも洩《も》らしがたい恋に心を悩ませ、はては宇治の大姫君さえ生きていてくれたならば、その人を妻とすることができていたのであれば、どんな人を見ても心の動揺することなどはなかったはずである。現代の帝王の御女《おんむすめ》を賜わるといっても、自分はお受けをしなかったはずである、また自分がそれほど愛している妻があるとわかっておいでになって姫宮をお嫁《とつ》がせになることもなかろう、何といっても自分の心の混乱し始めたのは宇治の橋姫のせいであると、こんなことを思ってゆくうちに薫の心はまた二条の院の女王の上に走って、恋しくも恨めしくもなり、取り返されぬ昔を愚かしいまでに残念に思った。もうどうすることもできないことなのであると、それを心に片づけたあとでは、また自殺をしてしまった浮舟《うきふね》が、思想的に幼稚でよこしまな情熱に逢《あ》ってたちまち動かされていった軽率さを認めながらも、さすがに煩悶を多くしていたこと、そのころに自分の気持ちの変わったことで、自責の念から歎きに沈んでいた様子を宇治で聞いて知ったことも思い出され、妻というような厳粛な意味の相手ではなく、心安く可憐《かれん》な愛人としておきたいと思うのにはふさわしくかわいい女性であったと考えられ、もう宮に不快の念を持つまい、女をも恨むまい、ただ自分の非常識から若い愛人をああした場所へ置き放しにしていたのがあやまちの原因だったのであると、こんなふうに物思いの末にはあきらめをつけることにもなった。
静かな落ち着いた薫さえこんなふうに恋愛については身体《からだ》にもさわるほどな苦しみも時には味わうのであるから、まして浮舟をお失いになった兵部卿の宮は心を慰めかねておいでになって、その人の形見の人として悲しみを語り合う人さえもおありでなく、対の夫人だけは哀れな人であったと言ってくれはするものの、姉妹《きょうだい》として交わっていた期間はわずかなことであったから、深い悲しみは覚えているはずもない、また宮としては思召すままに恋しい悲しいとお言いになることも、夫人に向かってのことであるからお心のとがめられることであるために、あの山荘の侍従をお呼び寄せになった。女房たちは皆ちりぢりに去ってしまったあとに、乳母《めのと》と右近、侍従だけは故人が最も親しんだ人たちであったから、喪の家から離れず、一方は親子であって、侍従は関係のない間柄ではあるが、いっしょに山荘へ残って暮らしていたのであったが、荒々しい川音を聞くのも、そのうち京の邸《やしき》へ姫君の迎えられて行く日を楽しみにして辛抱《しんぼう》されたものの、情けなく、気味悪くばかり思われて、京のちょっとした知り合いの家へこのごろは侍従だけが移って来ていた。宮がお捜させになってこのまま二条の院の女房になるようにと仰せになるのであったが、夫人はともかくも、他の女房たちから浮舟の姫君と宮とのあるまじい情交の起こっていたことで何かと非難がましいことを言われるであろうことが思われお受けをしなかった。中宮の女房になってお仕えしたいとそれとなく内記に言ってもらうと、
「それはよい。そして自分が陰で勤めよくなるようにしてやろ
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