終わって仏前の飾りが取り払われ、室内の装飾を改めるために、北側の座敷などへも皆人がはいって、旧態にかえそうとする騒ぎのために、西の廊の座敷のほうへ一品の姫宮は行っておいでになった。日々の多くの講義に聞き疲れて女房たちも皆|部屋《へや》へ上がっていて、お居間に侍している者の少ない夕方に、薫の大将は衣服を改めて、今日退出する僧の一人に必ず言っておく用で釣殿《つりどの》のほうへ行ってみたが、もう僧たちは退散したあとで、だれもいなかったから、池の見えるほうへ行ってしばらく休息したあとで、人影も少なくなっているのを見て、この人の女の友人である小宰相などのために、隔てを仮に几帳《きちょう》などでして休息所のできているのはここらであろうか、人の衣擦《きぬず》れの音がすると思い、内廊下の襖子《からかみ》の細くあいた所から、静かに中をのぞいて見ると、平生女房級の人の部屋《へや》になっている時などとは違い、晴れ晴れしく室内の装飾ができていて、幾つも立ち違いに置かれた几帳はかえって、その間から向こうが見通されてあらわなのであった。氷を何かの蓋《ふた》の上に置いて、それを割ろうとする人が大騒ぎしている。大人《おとな》の女房が三人ほど、それと童女がいた。大人は唐衣《からぎぬ》、童女は袗《かざみ》も上に着ずくつろいだ姿になっていたから、宮などの御座所になっているものとも見えないのに、白い羅《うすもの》を着て、手の上に氷の小さい一切れを置き、騒いでいる人たちを少し微笑をしながらながめておいでになる方のお顔が、言葉では言い現わせぬほどにお美しかった。非常に暑い日であったから、多いお髪《ぐし》を苦しく思召すのか肩からこちら側へ少し寄せて斜めになびかせておいでになる美しさはたとえるものもないお姿であった。多くの美人を今まで見てきたが、それらに比べられようとは思われない高貴な美であった。御前にいる人は皆土のような顔をしたものばかりであるとも思われるのであったが、気を静めて見ると、黄の涼絹《すずし》の単衣《ひとえ》に淡紫《うすむらさき》の裳《も》をつけて扇を使っている人などは少し気品があり、女らしく思われたが、そうした人にとって氷は取り扱いにくそうに見えた。
「そのままにして、御覧だけなさいましよ」
と朋輩《ほうばい》に言って笑った声に愛嬌《あいきょう》があった。声を聞いた時に薫は、はじめてその人が友人の小宰相であることを知った。とどめた人のあったにもかかわらず氷を割ってしまった人々は、手ごとに一つずつの塊《かたまり》を持ち、頭の髪の上に載せたり、胸に当てたり見苦しいことをする人もあるらしかった。小宰相は自身の分を紙に包み、宮へもそのようにして差し上げると、美しいお手をお出しになって、その紙で掌《て》をおぬぐいになった。
「もう私は持たない、雫《しずく》がめんどうだから」
と、お言いになる声をほのかに聞くことのできたのが薫のかぎりもない喜びになった。まだごくお小さい時に、自分も無心にお見上げして、美しい幼女でおありになると思った。それ以後は絶対にこの宮を拝見する機会を持たなかったのであるが、なんという神か仏かがこんなところを自分の目に見せてくれたのであろうと思い、また過去の経験にあるように、こうした隙見《すきみ》がもとで長い物思いを作らせられたと同じく、自分を苦しくさせるための神仏の計らいであろうかとも思われて、落ち着かぬ心で見つめていた。ここの対の北側の座敷に涼んでいた下級の女房の一人が、この襖子《からかみ》は急な用を思いついてあけたままで出て来たのを、この時分に思い出して、人に気づかれては叱《しか》られることであろうとあわてて帰って来た。襖子に寄り添った直衣《のうし》姿の男を見て、だれであろうと胸を騒がせながら、自分の姿のあらわに見られることなどは忘れて、廊下をまっすぐに急いで来るのであった。自分はすぐにここから離れて行ってだれであるとも知られまい、好色男らしく思われることであるからと思い、すばやく薫は隠れてしまった。その女房はたいへんなことになった、自分はお几帳《きちょう》なども外から見えるほどの隙《すき》をあけて来たではないか、左大臣家の公達《きんだち》なのであろう、他家の人がこんな所へまで来るはずはないのである、これが問題になればだれが襖子をあけたかと必ず言われるであろう、あの人の着ていたのは単衣《ひとえ》も袴《はかま》も涼絹《すずし》であったから、音がたたないで内側の人は早く気づかなかったのであろうと苦しんでいた。
薫は漸く僧に近い心になりかかった時に、宇治の宮の姫君たちによって煩悩《ぼんのう》を作り始め、またこれからは一品《いっぽん》の宮《みや》のために物思いを作る人になる自分なのであろう、その二十《はたち》のころに出家をしていたなら、今ごろは深
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