の小宰相であることを知った。とどめた人のあったにもかかわらず氷を割ってしまった人々は、手ごとに一つずつの塊《かたまり》を持ち、頭の髪の上に載せたり、胸に当てたり見苦しいことをする人もあるらしかった。小宰相は自身の分を紙に包み、宮へもそのようにして差し上げると、美しいお手をお出しになって、その紙で掌《て》をおぬぐいになった。
「もう私は持たない、雫《しずく》がめんどうだから」
と、お言いになる声をほのかに聞くことのできたのが薫のかぎりもない喜びになった。まだごくお小さい時に、自分も無心にお見上げして、美しい幼女でおありになると思った。それ以後は絶対にこの宮を拝見する機会を持たなかったのであるが、なんという神か仏かがこんなところを自分の目に見せてくれたのであろうと思い、また過去の経験にあるように、こうした隙見《すきみ》がもとで長い物思いを作らせられたと同じく、自分を苦しくさせるための神仏の計らいであろうかとも思われて、落ち着かぬ心で見つめていた。ここの対の北側の座敷に涼んでいた下級の女房の一人が、この襖子《からかみ》は急な用を思いついてあけたままで出て来たのを、この時分に思い出して、人に気づかれては叱《しか》られることであろうとあわてて帰って来た。襖子に寄り添った直衣《のうし》姿の男を見て、だれであろうと胸を騒がせながら、自分の姿のあらわに見られることなどは忘れて、廊下をまっすぐに急いで来るのであった。自分はすぐにここから離れて行ってだれであるとも知られまい、好色男らしく思われることであるからと思い、すばやく薫は隠れてしまった。その女房はたいへんなことになった、自分はお几帳《きちょう》なども外から見えるほどの隙《すき》をあけて来たではないか、左大臣家の公達《きんだち》なのであろう、他家の人がこんな所へまで来るはずはないのである、これが問題になればだれが襖子をあけたかと必ず言われるであろう、あの人の着ていたのは単衣《ひとえ》も袴《はかま》も涼絹《すずし》であったから、音がたたないで内側の人は早く気づかなかったのであろうと苦しんでいた。
薫は漸く僧に近い心になりかかった時に、宇治の宮の姫君たちによって煩悩《ぼんのう》を作り始め、またこれからは一品《いっぽん》の宮《みや》のために物思いを作る人になる自分なのであろう、その二十《はたち》のころに出家をしていたなら、今ごろは深
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