にならない心に宮はなっておいでになった。
 宇治の山荘の人たちは石山|詣《まい》りも中止になってつれづれを覚えていた。宮からのお手紙はあらんかぎりの熱情を盛って長くお書きになったのが行った。それを送ることにすら苦心はいったのである。時方《ときかた》と呼ばれていたあの五位の家来で、何も知らぬ侍を選んでその使いはさせた。右近を以前知っていた人が大将の供をして行って、話などをした時から、またしきりに好意を運んでくるのであると右近は他の朋輩《ほうばい》に言っていた。際限なく嘘《うそ》を言わねばならぬ右近になっているのである。
 二月になった。逢いたいとこがれ続けておいでになる宮でおありになるが宇治へお出かけになることは困難であった。こう煩悶《はんもん》ばかりをしていては若死にするほかはあるまいと命の心細さまでもそれに添えてお歎かれになった。
 薫は公務の少しひまになったころ例のように微行で宇治へ出かけた。寺へ行き仏に謁し、誦経《ずきょう》をさせ、僧へ物を与えなどして夕方から山荘へはいった。微行とはいっても、これはしいて人目を避ける必要もないわけで、相当に従者は率いて狩衣《かりぎぬ》姿ではなく、
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