つれて出て、昔をもう念頭に置いていないように見えるのも不本意であると思い、恋しい心をおさえているのも、例の恋に呑気《のんき》な性質だったからであろう。しかし京へ迎える家は用意して、忍んで作らせていた。少し心の暇が少なくなったようであるがなお二条の院の夫人に尽くすことは怠らなかった。これを知っている女房などは不思議にも思うのであったが、世の中というものがようやくわかってきた中の君にはこうした薫の誠意が認識できるようになり、これこそ恋した人を死後までも長く忘れない深い愛の例にもすべき志であると哀れを覚えさせられることも少なくないのであった。世の信望を得ていることも多くて、官位の昇進の目ざましい薫であったから、宮があまりにも真心のない態度をお見せになったりする時には、不運な自分である、姉君の心にきめたままにはなっていないで、陰で多くの煩悶《はんもん》をせねばならぬ妻になっていると、こんなことも思われた。けれども逢って話などをすることはもうあまりできないようになっていた。宇治時代と今とはあまりにも年月が隔たり過ぎ、どんな情誼《じょうぎ》を結んでいる二人であるとも知らぬ人は、身分のない人たちの間
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