かと思いまして先日も宇治へ行って来たのです。庭も籬《まがき》も実際荒れていましたから、(里は荒れて人はふりにし宿なれや庭も籬も秋ののらなる)堪えがたい気持ちを覚えました。私の父の院がお亡《かく》れになったあとで、晩年出家をされ籠《こも》っておいでになった嵯峨《さが》の院もまた六条院ものぞいて見る者は皆おさえきれず泣かされたものです。木や草の色からも、水の流れからも悲しみは誘われて、皆涙にくれて帰るのが常でした。院の御身辺におられたのは平凡な素質の人もなく皆りっぱな方がたでしたがそれぞれ別な所へ別れて行き、世の中とは隔離した生活を志されたものです、またそうたいした身の上でない女房らは悲しみにおぼれきって、もうどうなってもいいというように山の中へはいったり、つまらぬ田舎《いなか》の人になったりちりぢりに皆なってしまいました。そうして故人の家を事実上荒らし果てたあとで、左大臣がまた来て住まれるようになり、宮がたもそれぞれ別れて六条院をお使いになることになって、ただ今ではまた昔の六条院が再現された形になりました。あれほど大きな悲しみに逢《あ》ったあとでも年月が経《ふ》ればあきらめというものが出
前へ 次へ
全123ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング