いた。宮がどこにおいでになるのかはよくわからないのであるが、それらしく紅葉の枝の厚く屋形に葺《ふ》いた船があって、よい吹奏楽はそこから水の上へ流れていた。河風がはなやかに誘っているのである。だれもが敬愛しておかしずきしていることはこうした微行のお遊びの際にもいかめしくうかがわれる宮を、年に一度の歓会しかない七夕《たなばた》の彦星《ひこぼし》に似たまれな訪《おとず》れよりも待ちえられないにしても、婿君と見ることは幸福に違いないと思われた。
 宮は詩をお作りになる思召《おぼしめ》しで文章博士《もんじょうはかせ》などを随《したが》えておいでになるのである。夕方に船は皆岸へ寄せられて、奏楽は続いて行なわれたが、船中で詩の筵《えん》は開かれたのであった。音楽をする人は紅葉の小枝の濃いの淡《うす》いのを冠に挿《さ》して海仙楽《かいせんらく》の合奏を始めた。だれもだれも楽しんでいる中で、宮だけは「いかなれば近江《あふみ》の海ぞかかるてふ人をみるめの絶えてなければ」という歌の気持ちを覚えておいでになって、遠方人《おちかたびと》の心(七夕のあまのと渡るこよひさへ遠方人のつれなかるらん)はどうであろうとお
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