託してしかるべき所へ私はお移ししようと思う」
などと言い置き、御寺《みてら》の阿闍梨《あじゃり》にも熱心に祈祷《きとう》をするように告げさせて山荘を出た。
薫の従者でたびたびの訪問について来た男で山荘の若い女房と情人関係になった者があった。二人の中の話に、兵部卿の宮には監視がきびしく付き、外出を禁じられておいでになることを言い、
「左大臣のお嬢さんと御結婚をおさせになることになっているのだが、大臣のほうでは年来の志望が達せられるので二つ返辞というものなのだから、この年内に実現されることだろう。宮はその話に気がお進みにならないで、御所の中で放縦《ほうじゅう》な生活をして楽しんでおいでになるから、お上《かみ》や中宮様の御処置も当を得なかったわけになるのだね。自家《うち》の殿様は決してそんなのじゃない、あまりまじめ過ぎる点で皆が困っているほどなのだ。ここへこうたびたびおいでになることだけが驚くべき御執心を一人の方に持っておられると言ってだれも感心していることだ」
とも言った。こんな話を聞きましたと、その女が他の女房たちの中で語っているのを中の君は聞いて、ふさがり続けた胸がまたその上にもふさがって、もういよいよ自分から離れておしまいになる方と解釈しなければならない、りっぱな夫人をお得になるまでの仮の恋を自分へ運んでおいでになったにすぎなかったのであろう、さすがに中納言などへのはばかりで手紙だけは今でも情のあるようなことを書いておよこしになるのであろうと考えられるのであったが、恨めしいと人の思うよりも、恥ずかしい自身の置き場がない気がして、しおれて横になっていた。病女王はそれが耳にはいった時から、いっそうこの世に長くいたいとは思われなくなった。つまらぬ女たちではあるが、その人たちもどんなにこの始末を嘲笑《ちょうしょう》して思っているかもしれぬと思われる苦しさから、聞こえぬふうをして寝ているのであった。中の君は物思いをする人の姿態といわれる肱《かいな》を枕《まくら》にしたうたた寝をしているのであるが、その姿が可憐《かれん》で、髪が肩の横にたまっているところなどの美しいのを、病|女王《にょおう》はながめながら、親のいさめ(たらちねの親のいさめしうたた寝云々)の言葉というものがかえすがえす思い出されて悲しくなり、あの世の中でも罪の深い人の堕《お》ちる所へ父君は行っておいでにはなるまい、たとえどこにもせよおいでになる所へ自分を迎えてほしい、こんなに悲しい思いばかりを見ている自分たちを捨ててお置きになって、父君は夢にさえも現われてきてはくださらないではないかと思い続けて、夕方の空の色がすごくなり、時雨《しぐれ》が降り、木立ちの下を吹き払う風の音を寂しく聞きながら、過去のこと、のちの日のことをはかなんで病床にいる姿には、またもない品よさが備わり、白の衣服を着て、頭は梳《す》くこともしないでいるのであるが、もつれたところもなくきれいに筋がそろったまま横に投げやりになっている髪の色に少し青みのできたのも艶《えん》な趣を添えたと見える。目つき額つきの美しさはすぐれた女の顔というもののよくわかる人に見せたいようであった。うたた寝していたほうの女王は、荒い風の音に驚かされて起き上がった。山吹《やまぶき》の色、淡紫《うすむらさき》などの明るい取り合わせの着物は着ていたが顔はまたことさらに美しく、染めたように美しく、花々とした色で、物思いなどは少しも知らぬというようにも見えた。
「お父様を夢に見たのですよ。物思わしそうにして、ちょうどこの辺の所においでになりましたわ」
と言うのを聞いて病女王の心はいっそう悲しくなった。
「お亡《かく》れになってから、どうかして夢の中ででもお逢《あ》いしたいと私はいつも思っているのに少しも出ておいでにならないのですよ」
と言ったあとで、二人は非常に泣いた。このごろは明け暮れ自分が思っているのであるから、ふと出ておいでになることもあったのであろう、どうしても父君のおそばへ行きたい、人の妻にもならず、子なども持たない清い身を持ってあの世へ行きたい、と大姫君は来世のことまでも考えていた。支那《しな》の昔にあったという反魂香《はんごんこう》も、恋しい父君のためにほしいとあこがれていた。暗くなってしまったころに兵部卿の宮のお使いが来た。こうした一瞬間は二女王の物思いも休んだはずである。中の君はすぐに読もうともしなかった。
「やっぱりおとなしくおおような態度を見せてお返事を書いておあげなさい。私がこのまま亡くなれば、今以上にあなたは心細い境遇になって、どんな人の媒介役を女房が勤めようとするかもしれないのですからね。私はそれが気がかりで、心の残る気もしますよ。でもこの方が時々でも手紙を送っておいでになるくらいの関心をあなたに持っていら
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