間いることができたのですか」
 とお言いになり、宮の涙ぐんでおいでになるのを見て、女王は恥ずかしい気がした。そして今よく見る宮のお姿はきわめて艶《えん》であった。この世かぎりでない契りをおささやきになるのを聞いていて、思いがけず結ばれた人とはいえ、かえってあの冷静なふうの中納言を良人《おっと》にしたよりはこの運命のほうが気安いと女王は思っているのであった。あの人の熱愛している人は自分でなくもあったし、澄みきったような心の様子に現われて見える点でも親しまれないところがあった、しかもこの宮をそのころの自分はどう思っていたであろう、まして遠い遠い所の存在としていた。短いお手紙に返事をすることすら恥ずかしかった方であるのに、今の心はそうでない、久しくおいでにならぬことがあれば心細いであろうと思われるのも、われながら怪しく恥ずかしい変わりようであると中の君は心で思った。お供の人たちが次々に促しの声を立てるのを聞いておいでになって、京へはいって人目を引くように明るくならぬようにと、宮はおいでになろうとする際も御自身の意志でない通い路《じ》の途絶えによって、思い乱れることのないようにとかえすがえすもお言いになった。

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中絶えんものならなくに橋姫の片敷く袖《そで》や夜半《よは》に濡《ぬ》らさん
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 帰ろうとしてまた躊躇《ちゅうちょ》をあそばされた宮がこの歌をささやかれたのである。

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絶えせじのわが頼みにや宇治橋のはるけき中を待ち渡るべき
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 などとだけ言い、言葉は少ないながらも女王の様子に別れの悲しみの見えるのをお知りになり、たぐいもない愛情を宮は覚えておいでになった。
 若い女性の心に感動を与えぬはずのない宮の御朝姿を見送って、あとに残ったにおいなどの身にしむ人にいつか女王はなっていた。お立ちのおそかった今朝《けさ》になってはじめて女房たちは宮をおのぞき見した。
「中納言様はなつかしい御気品のよさに特別なところがおありになります。今一段上の御身分という思いなしからでしょうか、はなやかな御|美貌《びぼう》は何と申し上げようもないくらいにお見えになりましたね」
 こんなことを言ってほめそやした。
 京への道すがら、別れにめいったふうを見せた女王をお思い出しになって、このままもう一度山荘へ引き返したいと、御自身ながら見苦しく思召すまで恋しくお思われになるのであったが、世間の取り沙汰《ざた》を恐れてお帰りになって以来、容易にお通いになれずお手紙だけを日ごとに幾通もお送りになった。誠意がないのではおありになるまいと思いながらもお途絶えの日が積もっていくことで、姉の女王は思い悩んで、こんな結果を見て苦労をすることがないようにと願っていたものを、自身が当事者である以上に苦しいことであると歎かれるのであったが、これを表面に見せてはいっそう中の君が気をめいらせることになろうと思う心から、気にせぬふうを装いながらも、自分だけでも結婚しての苦を味わうまいといよいよ薫の望むことに心の離れていく大姫君であった。
 薫も兵部卿の宮の宇治へおいでになれない事情を知っていて、山荘の女王が待ち遠しく思うことであろうと、自身の責任であるように思い、宮にそれとなくお促しもし、宮の御近状にも注意を怠らなかったが、宮が宇治の女王に愛情を傾倒しておいでになることは明らかになったために、今の状態はこうでも不安がることはないと中の君のために胸をなでおろす思いをした。
 九月の十日で、野山の秋の色がだれにも思いやられる時である、空は暗い時雨《しぐれ》をこぼし、恐ろしい気のする雲の出ている夕べであった、宮は平生以上に宇治の人がお思われになって、何が起ころうとも行ってみようか、どうしたものかとお一人では決断がおできにならないで迷っておいでになるところへ、そのお思いを想像することのできた薫がお訪《たず》ねして来た。
「山里のほうはどうでしょう」
 中納言の言ったことはこれであった。お喜びになって、
「では今からいっしょに出かけよう」
 とお言いになったため、匂宮《におうみや》のお車に薫中納言は御同車して京を出た。山路へかかってくるにしたがって、山荘で物思いをしている恋人を多く哀れにお思いになる宮でおありになった。同車の人へもその点で御自身も苦しんでおいでになることばかりをお話しになった。行く秋の黄昏《たそがれ》時の心細さの覚えられる路《みち》へ、冷たい雨が降りそそいでいた。衣服を湿らせてしまったために、高い香《かおり》はまして一つになって散り広がるのが艶《えん》で、村人たちは高華な夢に行き逢《あ》ったように思った。
 毎日毎日婿君の情の薄さをかこっていた山荘の女房たちは、悦《よろこ》びを胸に満たせ
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