しく憎くさえ思った。
 出家のお志は昔から深かった宮でおありになったが、まったくの孤児になる姫君を置いておおきになるのが心がかりで、生きている間はせめてかたわらを離れず守る父になっておいでになることで、また一方のやる瀬ない人の世の寂しさも紛らしておいでになったのである。それも永久のことにはならなくて、生死の線に隔てられておしまいになったことは、亡き宮のためにも、お慕いする女王がたのためにも悲しいことであった。
 薫《かおる》も宇治の八の宮の訃《ふ》を承った。あまりにはかない人の命が悲しまれ、尊い人格の御方が惜しまれて、もう一度ゆっくりお話のしたかったことが多く残っているように思われて、人生の悲哀がしみじみ痛感されて泣いた。これが最終の会見であるかもしれぬとお言いになったが、いつの時にも人生のはかなさ脆《もろ》さをお感じになっておられる方のお言葉であったから、特別なお気持ちで仰せられるとも聞かず、このように早くその悲しい期が至るとも思わなかったと考えると、かえすがえすも悲しかった。阿闍梨《あじゃり》の所へも、山荘のほうへも弔問の品々を多く薫は贈った。こんな好意を見せる人はほかになかったのであるから、悲しみに沈んでいながらも二人の女王は昔からもこうした好意のある補助は絶えずしてくれる薫であることを思わざるをえなかった。
 普通の家の親の死でも、その場合にはこれほどの悲しいことはないように思われるのであるから、ましてただお一人を頼みにして今日まで来た姫君たちはどれほど深い悲しみをしていることであろうと薫は宇治の山荘を想像して、仏事のための費用などを多く阿闍梨に寄せた。邸《やしき》のほうへも老いた弁の君の所へというようにして金品を贈り、誦経《ずきょう》の用にすべき物などさえも送った。
 いつも夜のままのような暗い月日もたって九月になった。野山の色はまして人に涙を催させることが多く、争って落ちる木の葉の音、宇治川の響き、滝なす涙も皆一つのもののようになって、この女王たちをますます深い悲しみの谷へ追った。こんなふうでは、命は前生からきまったものとは言え、そのしばらくの間さえ堪えて生きがたいことにならぬかと女房たちは姫君らを思い、心細がっていろいろに慰めようとするのであった。
 この山荘にも念仏をする僧が来ていて、宮のお住みになった座敷は安置された仏像をお形見と見ねばならぬ今とな
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