あそばすには及びません。人にはそれぞれ独立した宿命というものがあるのでございますから、あなた様は決して気がかりとあそばされることはないのでございます」
 こう阿闍梨は言い、いよいよ恩愛の情をお捨てになることをお教え申し上げて、
「今になりまして、ここからお出になるようなことはなさらぬがよろしゅうございます」
 といさめるのであった。これは八月の二十日ごろのことであった。深くものが身にしむ時節でもあって、姫君がたの心には朝霧夕霧の晴れ間もなく歎《なげ》きが続いた。有り明けの月が派手《はで》に光を放って、宇治川の水の鮮明に澄んで見えるころ、そちらに向いて揚げ戸を上げさせて、二人は外の景色《けしき》にながめ入っていると、鐘の声がかすかに響いてきた。夜が明けたのであると思っているところへ、寺から人が来て、
「宮様はこの夜中ごろにお薨《かく》れになりました」
 と泣く泣く伝えた。その一つの報《し》らせが次の瞬間にはあるのでないかと、気にしない間もなかったのであったが、いよいよそれを聞く身になった姫君たちは失心したようになった。あまりに悲しい時は涙がどこかへ行くものらしい。二人の女王《にょおう》は何も言わずに俯伏《うつぶ》しになっていた。父君の死というものも日々|枕頭《ちんとう》にいて看護してきたあとに至ったことであれば、世の習いとしてあきらめようもあるのであろうが、病中にお逢いもできなかったままでこうなったことを姫君らの歎くのももっともである。しばらくでも父君に別れたあとに生きているのを肯定しない心を二人とも持っていて、自分も死なねばならぬと泣き沈んでいるが、命は失った人にも、失おうとする人にも、左右する自由はないものであるからしかたがない。阿闍梨《あじゃり》にはずっと以前から御遺言があったことであるから、葬送のこともお約束の言葉どおりにこの僧が扱ってした。御遺骸になっておいでになる父君でも、もう一度見たいと姫君たちは望んだのであるが、
「今さらそんなことをなさるべきではありません。御病中にも私は姫君がたにもお逢いにならぬがよろしいと申し上げていたのですから、こうなりましてから、互いに無益《むやく》な執着を作ることになり、あなたがたの将来のためにもなりません」
 阿闍梨は許そうとしなかった。御臨終までの御様子を話されることによっても、阿闍梨のあまりな出世間ぶりを姫君たちは恨め
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