いた中将の君も常にそのお役を命ぜられていた。薫は弾き手のだれであるかを音に知って、その夜の追想が引き出されもした。
翌年の正月には男踏歌《おとことうか》があった。殿上の若い役人の中で音楽のたしなみのある人は多かったが、その中でもすぐれた者としての選にはいって薫の侍従は右の歌手の頭《とう》になった。あの蔵人《くろうど》少将は奏楽者の中にはいっていた。初春の十四日の明るい月夜に、踏歌の人たちは御所と冷泉《れいぜい》院へまいった。叔母《おば》の女御も新女御も見物席を賜わって見物した。親王がた、高官たちも同時に院へ伺候した。源右大臣と、その舅家《きゅうけ》の太政大臣の二系統の人たち以外にはなやかなきれいな人はないように見える夜である。宮中で行なった時よりも、院の御所の踏歌を晴れがましいことに思って、人々は細心な用意を見せて舞った。また奏し合った中でも蔵人少将は、新女御が見ておられるであろうと思って興奮をおさえることができないのである。美しい物でもないこの夜の綿の花も、挿頭《かざ》す若|公達《きんだち》に引き立てられて見えた。姿も声も皆よかった。「竹河」を歌って階《きざはし》のもとへ歩み寄る時、少将の心にもまた去年の一月の夜の記憶がよみがえってきたために、粗相も起こしかねないほどの衝動を受けて涙ぐんでいた。后《きさき》の宮の御前で踏歌がさらにあるため、院もまたそちらへおいでになって御覧になるのであった。深更になるにしたがって澄み渡った月は昼より明るく照らすので、御簾《みす》の中からどう見られているかということに上気して、少将は院のお庭を歩くのでなく漂って行く気持ちでまいった。杯を受けて飲むことが少ないと言って、自身一人が責められることになるのも恥ずかしかった。
踏歌の人たちは夜通しあちらこちらとまわったために翌日は疲労して寝ていた。薫侍従に院からのお召があった。
「苦しいことだ。しばらく休養したいのに」
と言いながら伺候した。御所で踏歌を御覧になった様子などを院はお尋ねになるのであった。
「歌頭《かとう》は今まで年長者がするものなのだが、それに選ばれるほど認められているのだと思って満足した」
と仰せられてかわいく思召す御さまである。「万春楽《ばんしゅんらく》」(踏歌の地に弾《ひ》く曲)の譜をお口にあそばしながら新女御の御殿へおいでになる院のお供を薫はした。前夜の見物に
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