のだった。
「何も私がそうでなければならぬときめたことではなく、ずいぶん躊躇《ちゅうちょ》をしたことなのだがね。お気の毒に存じ上げるほどぜひにと院の陛下が御懇望あそばすのだもの、後援者のない人は宮中にはいってからのみじめさを思って、はげしい競争などはもうだれもなさらないような院の後宮へ奉ったのですよ。だれも皆よくないことであれば忠告をしてくれればいいのだけれど、その時は黙っていて、今になると右大臣さんなども私の処置が悪かったように、それとなくおっしゃるのだから苦しくてなりませんよ。皆宿命なのですよ」
と穏やかに尚侍は言っていた。心も格別騒いではいないのである。
「その前生の因縁というものは、目に見えないものですから、お上がああ仰せられる時に、あの妹は前生からの約束がありましてなどという弁解は申し上げられないではありませんか。中宮《ちゅうぐう》がいらっしゃるからと御遠慮をなすっても、院の御所には叔母《おば》様の女御さんがおいでになったではありませんか。世話をしてやろうとか、何とか、言っていらっしゃって御了解があるようでも、いつまでそれが続くことですかね、私は見ていましょう。御所には中宮がおいでになるからって、後宮がほかにだれも侍していないでしょうか。君に仕えたてまつることでは義理とか遠慮とかをだれも超越してしまうことができると言って、宮仕えをおもしろいものに昔から言うのではありませんか。院の女御が感情を害されるようなことが起こってきて、世間でいろんな噂《うわさ》をされるようになれば、初めからこちらのしたことが間違いだったとだれにも思われるでしょう」
などとも中将は言った。兄弟がまたいっしょになっても非難するのを玉鬘《たまかずら》夫人は苦しく思った。
その新女御を院が御|寵愛《ちょうあい》あそばすことは月日とともに深くなった。七月からは妊娠をした。悪阻《つわり》に悩んでいる新女御の姿もまた美しい。世の中の男が騒いだのはもっともである、これほどの人を話だけでも無関心で聞いておられるわけはないのであると思われた。御|愛姫《あいき》を慰めようと思召して、音楽の遊びをその御殿でおさせになることが多くて、院は源侍従をも近くへお招きになるので、その人の琴の音《ね》などを薫は聞くことができた。この侍従が正月に「梅が枝」を歌いながら訪《たず》ねて行った時に、合わせて和琴を弾《ひ》
前へ
次へ
全28ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング