みつか》いのひっきりなしに来ることに御遠慮がされもして、おとどめすることも申さないでいるうちに、夫人がもう東の対へ出て来ることができないために、宮のほうからそちらへ行こうと中宮が仰せられた。
 失礼であると思い心苦しく思いながらも、お目にかからないでいることも悲しくて、西の対へ宮のお居間を設けさせて、夫人はなつかしい宮をお迎えしたのであった。夫人は非常に痩《や》せてしまったが、かえってこれが上品で、最も艶《えん》な姿になったように思われた。これまであまりにはなやかであった盛りの時は、花などに比べて見られたものであるが、今は限りもない美の域に達して比較するものはもう地上になかった。その人が人生をはかなく、心細く思っている様子は、見るものの心をまでなんとなく悲しいものにさせた。
 風がすごく吹く日の夕方に、前の庭をながめるために、夫人は起きて脇息《きょうそく》によりかかっているのを、おりからおいでになった院が御覧になって、
「今日はそんなに起きていられるのですね。宮がおいでになる時にだけ気分が晴れやかになるようですね」
 とお言いになった。わずかに小康を得ているだけのことにも喜んでおいでになる院のお気持ちが、夫人には心苦しくて、この命がいよいよ終わった時にはどれほどお悲しみになるであろうと思うと物哀れになって、

[#ここから2字下げ]
おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩《はぎ》の上露
[#ここで字下げ終わり]

 と言った。そのとおりに折れ返った萩の枝にとどまっているべくもない露にその命を比べたのであったし、時もまた秋風の立っている悲しい夕べであったから、

[#ここから2字下げ]
ややもせば消えを争ふ露の世に後《おく》れ先きだつ程《ほど》へずもがな
[#ここで字下げ終わり]

 とお言いになる院は、涙をお隠しになる余裕もないふうでおありになった。宮は、

[#ここから2字下げ]
秋風にしばし留まらぬ露の世をたれか草葉の上とのみ見ん
[#ここで字下げ終わり]

 とお告げになるのであった。美貌《びぼう》の二女性が最も親しい家族として一堂に会することが快心のことであるにつけても、こうして千年を過ごす方法はないかと院はお思われになるのであったが、命は何の力でもとどめがたいものであるのは悲しい事実である。
「もうあちらへおいでなさいね。私は気分が悪くなってまいりました。病中と申してもあまり失礼ですから」
 といって、女王は几帳《きちょう》を引き寄せて横になるのであったが、平生に超《こ》えて心細い様子であるために、どんな気持ちがするのかと不安に思召《おぼしめ》して、宮は手をおとらえになって泣く泣く母君を見ておいでになったが、あの最後の歌の露が消えてゆくように終焉《しゅうえん》の迫ってきたことが明らかになったので、誦経《ずきょう》の使いが寺々へ数も知らずつかわされ、院内は騒ぎ立った。以前も一度こんなふうになった夫人が蘇生《そせい》した例のあることによって、物怪《もののけ》のすることかと院はお疑いになって、夜通しさまざまのことを試みさせられたが、かいもなくて翌朝の未明にまったくこと切れてしまった。
 宮もお居間にお帰りにならぬままで臨終に立ち会えたことを、うれしくも悲しくも思召した。御良人《ごりょうじん》も御娘《みむすめ》も、これを人生の常としてだれも経験していることとはお思いになれないで、言語に絶した悲しみ方をしておいでになるのである。二条の院の中は絶望して心を取り乱した人ばかりになった。院はお心の静めようもないふうで、大将を几帳のそばへお呼び寄せになって、
「もうだめになったことは確かなようだ。長く希望していた出家のことをこの際に遂げさせてやらないのは惨酷なように思われるが、加持に来ていた僧たちも読経《どきょう》の僧たちも皆することをやめて帰ったとしても、少しは残っているのもあろうから、この世の利益はもう必要がなくなった今では冥土《めいど》のお手引きに仏をお願いすることにして、髪を切って尼にすることをそのだれかにさせてくれ。相当な僧ではだれが残っているか」
 こうお言いになる御様子にも、自制しておいでになるのであろうが、御血色もまったくないようで、涙がとまらず流れているお顔を、ごもっともなことであると大将は悲しく見た。
「物怪などが周囲の者を驚かすために、そうしたことをすることもあるのですが、絶望の御状態とはそうしたわけではないのでございましょうか。それでございましたら、ただ今承りましたことは結構なことでございまして、一日一夜でも道におはいりになっただけのことは報いられるでしょうが、しかしもうまったくお亡《な》くなりになったのでございましたら、死後のお髪《ぐし》の形を変えますだけのことがあの世の光にはならないでしょう。そして眼《め》で見る遺族たちの悲しみだけが増大することになるだけのことでございますから、私はいかがかと存じます」
 と大将は言って、忌中をこの院でこもり続けようとする志のある僧たちの中から人選して念仏をさせることを命じたりすることなども皆この人がした。今日までだいそれた恋の心をいだくというのではなかったが、どんな時にまたあの野分《のわき》の夕べに隙見《すきみ》を遂げた程度にでも、また美しい継母が見られるのであろう、声すらも聞かれぬ運命で自分は終わるのであろうかというあこがれだけは念頭から去らなかったものであるが、声だけは永遠に聞かせてもらえない宿命であったとしても、遺骸《いがい》になった人にせよもう一度見る機会は今この時以外にあるわけもないと夕霧は思うと、声も立てて泣かれてしまうのであった。
 あるだけの女房は皆泣き騒いでいるのを、
「少し静かに、しばらく静かに」
 と制するようにして、ものを言う間に几帳の垂れ絹を手で上げて見たが、まだほのぼのとしはじめたばかりの夜明けの光でよく見えないために、灯《ひ》を近くへ寄せてうかがうと、麗人の女王《にょうおう》は遺骸になってなお美しくきれいで、その顔を大将がのぞいていても隠そうとする心はもう残っていなかった。院は、
「このとおりにまだなんら変わったところはないが、生きた人でないことだけはだれにもわかるではないか」
 こうお言いになって、袖《そで》で顔をおさえておいでになるのを見ては、大将もしきりに涙がこぼれて、目も見えないのを、しいて引きあけて、遺骸をながめることをしたがかえって悲しみは増してくるばかりで、気も失うのではないかと夕霧はみずから思った。横にむぞうさになびけた髪が豊かで、清らかで、少しのもつれもなくつやつやとして美しい。明るい灯のもとに顔の色は白く光るようで、生きた佳人の、人から見られぬよう見られぬようと願う心の休みなく働いているのよりも、己《おのれ》をあやぶむことも、他を疑うこともない純粋なふうで寝ている美女の魅力は大きかった。少々の欠点があってもなお夕霧の心は恍惚《こうこつ》としていたであろうが、見れば見るほど故人の美貌《びぼう》の完全であることが認識されるばかりであったから、この自分を離れてしまうような気持ちのする心はそのままこの遺骸にとどまってしまうのではないかというような奇妙なことも夕霧は思った。
 長く仕えていた女房の中に意識の確かにあるような者はない状態であったから、院は非常に悲しい気持ちをしいておしずめになって、遺骸の始末などをあそばすのであった。昔も愛人や妻の死におあいになった経験はおありになっても、まだこんなことまでも手ずから世話あそばされたことはなかったから、自身としては空前絶後の悲しみであると見ておいでになるのであった。紫の女王の遺骸はその日のうちに納棺された。どれほど愛すればとて遺骸は遺骸として葬送せねばならぬのが人生の悲しい掟《おきて》であった。
 はるばると広い野にあいた場所がないほどにも葬送の人の集まったいかめしい儀式であったが、送られた人ははかない煙になって間もなく立ち昇《のぼ》ってしまった。当然のことではあるがこれをも人々は悲しんだ。空を歩いているような気持ちで院は人によりかかって足を運んでおいでになるのを見ては、あの高貴な御身分でと低級な頭のものさえも御同情して泣かない者はなかった。遺骸の供をして来た女房たちはまして夢の中に彷徨《ほうこう》しているような気持ちになっていて、車から転《ころ》び落ちそうに見えるのを従者たちは扱いかねていた。昔、大将の母君の葵《あおい》夫人の葬送の夜明けのことを院は思い出しておいでになったが、その時はなお月の形が明瞭《めいりょう》に見えた御記憶があった。今は心も目も暗闇《くらやみ》のうちのような気のあそばされる院でおありになった。女王は十四日に薨去《こうきょ》したのであって、これは十五日の夜明けのことである。
 はなやかな日が上って、野原一面に置き渡した露がすみずみまできらめく所をお通りになりながら、院はいっそうこの時人生というものをいとわしく悲しく思召して、残った自分の命といっても、もう長くは保ちえられるものではないであろうから、こうした苦しみを見る時に、昔からの希望であった出家も遂げたいとしきりにお思われになるのであったが、気の弱さを史上に残すことが顧慮されて、当分はこのままで忍ぶほかはないと御決心はあそばされても、なお胸の悲しみはせき上がってくるのであった。
 夕霧も、紫夫人の忌中を二条院にこもることにして、かりそめにも出かけるようなことはなく、明け暮れ院のおそばにいて、心苦しい御|悲歎《ひたん》をもっともなことであると御同情をして見ながら、いろいろと、お慰めの言葉を尽くしていた。
 風が野分《のわき》ふうに吹く夕方に、大将は昔のことを思い出して、ほのかにだけは見ることができた人だったのにと、過ぎ去った秋の夕べが恋しく思われるとともに、また麗人の終わりの姿を見て夢のようであったことも人知れず忍んでいると非常に悲しくなるのを、人目に怪しまれまいとする紛らわしには、阿弥陀仏《あみだぶつ》、阿弥陀仏と唱えて数珠《じゅず》の緒を繰ることをした。涙の玉も混ぜてである。

[#ここから2字下げ]
いにしへの秋の夕べの恋しきに今はと見えし明け暗《ぐ》れの夢
[#ここで字下げ終わり]

 この夢の酔いごこちは永遠の悲しみの澱《おり》を大将の胸に残したようである。りっぱな僧たちを集めて忌籠《いみごも》りの念仏をさせることは普通であるが、なおそのほかに法華《ほけ》経をも院がお読ませになっているのも両様の悲哀を招く声のように聞こえた。
 寝ても起きても涙のかわくまもなく目はいつも霧におおわれたお気持ちで院は日を送っておいでになった。一生を回顧してごらんになると、鏡に写る容貌《ようぼう》をはじめとして恵まれた人物として世に登場したことは確かであるが、幼年時代からすでに人生の無常を悟らせられるようなことが次々周囲に起こって、これによって仏道へはいれと仏の促《うなが》すのをしいて知らぬふうに世の中から離脱することのできなかったために、過去にも未来にもこんなことがあろうとは思われぬ大なる悲しみを体験させられることになった、これほど悲しみのしずめがたい心を持っている間は、仏の道にもはいることは不可能であろうとみずからおあやぶまれになる院は、この心持ちを少しゆるやかにされたいと阿弥陀仏を念じておいでになった。
 忌中の院をお見舞いになるかたがたは宮中をはじめとして、皆形式的ではなくたびたびの使いをおつかわしになるのであった。仏道から言えばいっさいのことは院の御念頭から除《の》けられてよいわけではあるが、さすがに悲しみにぼけたふうには人から見られたくない、こうした一生の末になって妻を失った悲しみに堪えないで入道したという名の残ることだけははばかっておいでになるために、見えぬ拘束を受けて自由に出家のおできにならぬこともこのごろの悲しみに添った一つの悲しみになった。
 太政大臣は人が不幸であるおりに傍観していられぬ性質であったから、紫夫人というような不世出の佳人の突然に死んだことを惜しがり、院に御同情してたび
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング