れ。こんな外泊は人の中傷の種になるのだから気をつけてくれるように」
 と命じた。訳のあることに相違ないと思ってその男は去った。それから大将は女房に、
「道もわからなくなりましたからここでごやっかいになりましょう、かないますならこの御簾《みす》の前を拝借させてください。阿闍梨《あじゃり》の御用が済むまでです」
 と落ち着いたふうで言うのであった。これまではこんなに長居をしたこともなく、浮薄な言葉も出した人ではなかったのに、困ったことであると宮はお思いになったが、わざとがましく隣室へ行ってしまうことも体裁のよいものでないような気があそばされるので、ただ音をたてぬようにしてそのままおいでになると、思ったことを吐露し始めた大将は、お心の動くまでというように、いろいろと言葉を尽くすのであったが、宮へお取り次ぎにいざり入る人の後ろからそっと御簾をくぐって来た。夕霧が盛んに家の中へ流れ込むころで、座敷の中が暗くなっているのである。その女房は驚いて後ろを見返ったが、宮は恐ろしくおなりになって、北側の襖子《からかみ》の外へいざって出ようとあそばされたのを、大将は巧みに追いついて手でお引きとめした。もうお身体《からだ》は隣の間へはいっていたのであるが、お召し物の裾《すそ》がまだこちらに引かれていたのである。襖子は隣の室の外から鍵《かぎ》のかかるようにはなっていないために、それをおしめになったままで、水のように宮は慄《ふる》えておいでになった。女房たちも呆然《ぼうぜん》としていていかにすべきであるかを知らない。こちらの室には鍵があっても、この場合をどうすればよいかに皆当惑したのである。無理やりに荒々しく手を宮のお召し物から引き放させるようなこともできる相手ではなかった。
「御尊敬申し上げておりますあなた様がこんなことをなさいますとは思いもよらぬことでございます」
 と言って、泣かんばかりに退去を頼むのであるが、
「これほどの近さでお話を申し上げようとするのを、なぜあなたがたは不思議になさるのでしょう。つまらぬ私ですが、真心をお見せすることになって長い年月も重なっているはずです」
 と女房らに答えてから、大将は優美な落ち着きを失わずに、美しいこの恋を成り立たせなければならぬことを宮へお説きするのであった。宮は御同意をあそばすべくもない。こんな侮辱までも忍ばねばならぬかというお気持ちばかりが
前へ 次へ
全28ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング