うになったのを、だれも心細がらぬ者はなくて、家の使用人なども皆悲しんでいるのである。朝廷でも非常にお惜しみになって、いよいよ危篤ということが天聴に達すると、にわかに権大納言に昇任おさせになった。この感激によって元気が出てもう一度だけは参内をするかと帝《みかど》は期しておいでになったのであるが、それをすることがもう衛門督にはできなかった。ただ病苦の中で拝任の表だけを草して奉った。大臣はこの朝恩の厚さを見てもさらに惜しく悲しくわが子が思われるのであった。左大将は常に親友の病をいたんで見舞いを書き送っているのであるが、昇任の祝いを述べに真先《まっさき》に大臣家を訪問したのもこの人であった。衛門督の住んでいるほうの対の門内には馬や車がたくさん来ていて、忙《せわ》しそうに人々が出入りしていた。今年にはいってからは起き上がることもあまりできない衛門督であったから、大官の親友を病室に招くことが遠慮されて恋しく思いながら逢えないことを思うと残念で、督《かみ》は、
「失礼ですがやはりここへ来ていただくことにします。この場合のことでやむをえないとお許しくださるでしょう」
 と挨拶《あいさつ》をさせて、病室
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