ればと、今はそれを院もお念じになって、修法もまた延ばさせて、油断なく祈らせることもあそばしたし、そのほかのあらゆる方法もおとりになって、宮のお命の助かるようにとばかり苦心あそばされるのであった。
 右衛門督《うえもんのかみ》は六条院の宮の御出産から出家と続いての出来事を病床に聞いて、いっそう頼み少ない容体になってしまった。夫人の女二《にょに》の宮《みや》をおかわいそうにばかり思われる衛門督は、助からぬ命にきまった今になって、ここへ宮がおいでになることは軽々しく世間が見ることであろうし、父母が始終近くへ来ている病室では、自然お姿をそれらの近親者に見られておしまいになる隙《すき》ができることになってはもったいないと思って、
「どんな無理をしてでも一条の宮へもう一度行ってみたいのです」
 と言い続けるのであるが、両親は許さなかった。衛門督はだれにも自分の死後はこの宮を御保護申すようにということを頼んでいた。もともと宮の母君の御息所《みやすどころ》はこの結婚に不賛成であったのが、衛門督の父の大臣の熱心な懇望が法皇を動かしたてまつって、お許しになることになったものであって、六条院の二品《にほん》
前へ 次へ
全54ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング