失敬なことであると罪を憎んでおいでになった感情も消え、泣かれておしまいになるのであった。女房たちがいつの間にかお居間を出てしまったのを御覧になってから、院は宮の近くへお寄りになって、
「この人を何と思うのですか、こんなにかわいい人を置いて、この世をよくも捨てられましたね。冷酷ですよ」
 と不意にお言いかけになった。宮は顔を赤めておいでになった。

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「たが世にか種は蒔《ま》きしと人問はばいかが岩根の松は答へん
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 かわいそうですよ」
 ともそっとお言いになったが、宮はお返辞もあそばさずにひれ伏しておしまいになった。もっともであるとお思いになって、しいてものをお言わせしようともあそばされない。どんなお気持ちでおられるのであろう、奥深い感情などは持っておられぬが、虚心平気でおいでにはなれないはずであると想像ができるのも心苦しいことであった。
 大将は衛門督《えもんのかみ》が思い余って自分に洩《も》らしたことはどんな訳のあることであろう。故人があれほどまで弱っていない時であったなら、自身から言い出したことなのであるから、もう少し核心に触れたことも聞き出せたであろうが、もうあの際であったのがおりを得ないことで残念であったなどと考えていて、兄弟たち以上にこの人は故人を恋しがっていた。女三の宮がにわかに出家を遂げられたことも何か訳のあることらしい、そう大病でもおありにならなかった方を、院が何の抗議もあそばされずに尼にさせておしまいになってよいはずはないのである。二条の院の夫人があの重態になっていられた場合に、泣く泣く許しを乞《こ》われたのさえもお拒みになったのであるからというようなことも大将は考えられ、衛門督の問題と女三の宮の御出家とは関連したことに違いないということに思いは帰着した。昔から宮をお思いしていて、忍び余るような物思いの影を自分などに見せたこともある人である、自制していて表面《うわべ》だけはあくまでも冷静で、この人の心には何を思っているのかとうかがうのに苦しむほどであったが、感情に負けるところがあって、あまりに彼は弱い男であった、どんなにすぐれた恋人であっても、許されない恋に狂熱を傾け、最後に身をあやまるようなことをしてはならないのである、一方の人のためにも気の毒なことであるし、彼が自身の命をそれに捨てたのも賢明なことではない、皆前生の因縁とはいいながらも、やはり軽率なことであったと、大将は自身一人で思っていて夫人にも話さなかった。またよい機会もなくて院に故人の心をお伝えすることもまだ果たさなかった。大将としてはまたそれを話し出した時に秘密の全貌《ぜんぼう》の見られることも願っているのであるから好機は容易に見いだせないのであるらしい。
 故大納言の父母は涙の晴れ間もないほど悲しみにおぼれて暮らしているのであって、日のたつ数もわからなかった。法事などの用意も子息たちや婿君たちの手でするばかりであった。供養する経巻や仏像も二男の左大弁が主になって作らせていた。七日七日の誦経《ずきょう》の日が次々来るたびに、その注意を子息たちがすると、
「もういっさい何も聞かせないようにしてくれ。あれに関した話を聴《き》けばまた悲しみが湧《わ》くばかりだから、かえってあれの行く道を妨げることになる」
 と言うだけで、大臣も死んだ人のようになっていた。
 一条の宮はまして終わりの病床に見ることもおできにならないままで良人《おっと》を死なせておしまいになったというお悲しみもあって、その後の日の重なるにつけて広いお邸《やしき》はますます寂しいものになって、お召使いの人たちも減っていくばかりであった。大納言の恩顧を受けていた人たちだけは、故人の未亡人の宮に今も敬意を表しに来ることを忘れなかった。愛していた鷹《たか》狩りの鷹とか、馬とかを預かっていた侍たちはたよる所を失ったように力を落としながらも寂しい姿で出仕しているのがお目にはいったりすることなども宮のお心を悲しくさせた。手|馴《な》らしていた居間の道具類、始終|弾《ひ》いていた琵琶《びわ》、和琴《わごん》などの、今は絃《いと》の張られていないものなども御覧になるのが苦しかった。庭の木立ちがけむり、時を忘れずに花の咲こうとするのをおながめになっていて寂しかった。女房たちも皆喪服姿になっていて、あらゆるものから受ける印象が物哀れであったある日の昼ごろに、高い前駆の声がしてお邸《やしき》の門にとまった車があった。
「ぼんやりしていますとお亡《な》くなりになった殿様がおいでになったのかと思いますよ」
 と言って泣く女房もあった。それは左大将が訪問して来たのであった。まず訪問の意を通じて来た。いつものように大納言の弟の左大弁とか、参議とかの来訪したのかと邸の人は思っ
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