て、お膳部から女房たちのためのお料理の盛られた器まで皆きれいな感じのする式場であった。真相を知らぬ人々の寄贈したおびただしい祝品のあるのを御覧になっても、この誤りを正しくしがたい心苦しさから恥ずかしくばかりおなりになる院であった。尼宮も起きておいでになった。切りそろえられた髪の尖《さき》が厚くいっぱいに拡《ひろ》がるのを苦しくお思いになり、額の毛などを後ろへなでつけておいでになる時に、院は几帳《きちょう》を横へ寄せてそこへおすわりになると、宮は羞《は》じて横のほうへお向きになったが、以前よりもいっそう小柄にお見えになって、髪は授戒の日にお扱いした僧が惜しんで長く残すようにして切ったのであるから、ちょっと見ては普通の方のように思われた。次々に濃くした鈍《にび》の幾枚かをお重ねになった下には黄味を含んだ淡《うす》色の単衣《ひとえ》をお着になって、まだ尼姿になりきってはお見えにならず、美しい子供のような気がしてこれが最もよくお似合いになる姿であるとも艶《えん》に見えた。
「墨染めという色は少し困りますね。どうしても悲しい色でね、目がくらむ気がします。こうおなりになってもいっしょに暮らすことができるのだからと思って、みずから慰めようとしていますが、まだ今でも涙だけはあきらめてくれずに流れ出すので困りますよ。こんなふうにあなたに捨てられたのも、私自身の罪であると考えられることも苦痛のきわみですよ。取り返せないものだろうか」
 と院は御|歎息《たんそく》をあそばして、
「ほんとうの尼の気持ちになっておしまいになれば、それは病気のためでなく、私がいやにおなりになったためにそうおなりになった気もして、私は情けないでしょうよ。やはり私を愛してください」
 こうお言いになると、
「この境地にいては人を愛したりすることができないものだと聞いていますもの、まして私などは初めから愛するということがわからなかったのですから、どうお返事を申し上げればいいか存じません」
 と宮はお返辞をあそばされる。
「しかたのない方ですね、おわかりになることもあるでしょうが」
 と言いさしたまま院は言葉をお切りになって、若君を見ようとあそばされた。乳母《めのと》には貴族の出の人ばかりが何人も選ばれて付いていた。その人たちを呼び出して、若君の取り扱いについての注意をお与えに院はなるのであった。
「かわいそうに未来の少ない老いた父を持って、おくればせに大きくなってゆこうとするのだね」
 と言って、お抱き取りになると、若君は快い笑《え》みをお見せした。よく肥《ふと》って色が白い。大将の幼児時代に思い比べてごらんになっても似ていない。女御《にょご》の宮方は皆父帝のほうによく似ておいでになって、王者らしい相貌《そうぼう》の気高《けだか》いところはあるが、ことさらお美しいということもないのに、この若君は貴族らしい上品なところに愛嬌《あいきょう》も添っていて、目つきが美しくよく笑うのを御覧になりながら院は愛情をお感じになった。思いなしか知らぬが故|衛門督《えもんのかみ》によく似ていた。これほどの幼児でいてすでに貴公子らしいりっぱな眼眸《めつき》をして艶《えん》な感じを持っていることも普通の子供に違っているのである。母の宮はそうであるとも確かにはわかっておいでにならなかったし、その他の人はもとより気のつかぬことであったから、ただ院お一人の心の中だけで、哀れな因縁であると故人のことを考えておいでになると、人生の無常さも次々に思われて涙のほろほろとこぼれるのを、今日は祝いの式ではないかと恥じてお隠しになり『五十八|翁方有後《をうまさにのちあり》静思堪喜《しづかにおもふによろこびにたへたり》亦堪嗟《またなげくにたへたり》』とお歌いになった。五十八から十を引いたお年なのであるが、もう晩年になった気があそばされて白楽天のその詩の続きの『慎勿頑愚似汝爺《つつしみてぐわんぐなんぢのちちににるなかれ》』を歌いたく思召したかもしれない。あの秘密にあずかった者がここの女房の中にいるはずである。その人たちは自分を愚人として侮蔑《ぶべつ》しているのであろうとお思われになることは不快であったが、自分のことは忍んでもよいが、宮をその人たちはどう思っているかという点までを思うと、宮のためにおかわいそうであるなどと院はお思いになって、あくまでも知らぬ顔を続けておいでになるのであった。無邪気にうれしそうな声をたてる若君の目つき、口つきは知らぬ人にわからぬことであろうが、自分が見れば全くよく似ているとお思いになる院は、親たちが子供でもあればよかったと言って悲しんでいるのに、これを見せてやることもできず、秘密な所にこの子だけを形見に残して、あの思い上がった男が、自身の心から命を縮めて死んだかと衛門督が哀れにお思われになって、
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