てられたのであろうと、子孫への愛の深さが思われもし、神や仏に済まぬ気もされた。並みの人ではなくてしばらく自分の祖父になってこの世へ姿を現わしただけの、功徳を積んだ昔の聖僧ではなかったかなどと思われ、女御に明石《あかし》の入道を畏敬《いけい》する心が起こった。今度はまだ女御の行なうことにはせずに、六条院の参詣におつれになる形式で京を立ったのであった。
須磨《すま》明石時代に神へお約しになったことは次々に果たされたのであるが、その以後もまた長く幸運が続き、一門子孫の繁栄を御覧になることによっても神の冥助《めいじょ》は忘られずに六条院は紫の女王《にょおう》も伴って御参詣あそばされるのであって、はなやかな一行である。簡素を旨として国の煩いになることはお避けになったのであるが、この御身分であってはある所までは必ず備えられねばならぬ旅の形式があって、自然に大きなことにもなった。公卿《こうけい》も二人の大臣以外は全部|供奉《ぐぶ》した。神前の舞い人は各|衛府《えふ》の次将たちの中の容貌《ようぼう》のよいのを、さらに背丈《せたけ》をそろえてとられたのであった。落選して歎《なげ》く風流公子もあった。奏
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