思召《おぼしめ》しで親代わりにお頼みになったのですもの。院がお引き受けになりましたのもその気持ちでなすったことですもの、つまらないことを言って、結局は宮様を悪くあなたはおっしゃるのですね」
 ついには腹をたててしまった小侍従の機嫌《きげん》を衛門督《えもんのかみ》はとっていた。
「ほんとうのことを言えば、あのまれな美貌《びぼう》の六条院様を良人《おっと》にお持ちになる宮様に、お目にかかって自身が好意を持たれようとは考えても何もいないのだよ。ただ一言を物越しに私がお話しするだけのことで、宮様の尊厳をそこねることはないじゃないか。神や仏にでも思っていることを言って咎《とが》や罰を受けはしないじゃないか」
 こう言って衛門督は絶対に不浄なことは行なわないという誓いまでも立てて、ひそかに御訪問をするだけの手引きを頼むのを、初めのうちは強硬にあるまじいことであると小侍従は突きはねていたが、もともとあさはかな若い女房であるから、こうまでも思い込むものかと、熱心な頼みに動かされて、
「もしそんなことによいような隙《すき》が見つかりましたら御案内いたしましょう。院がおいでにならぬ晩はお几帳《きちょう》のまわりに女房がたくさんいます。お帳台には必ずだれかが一人お付きしているのですから、どんな時にそうしたよいおりがあるものでしょうかね」
 と困ったように言いながら小侍従は帰って行った。
 どうだろう、どうだろうと毎日のように衛門督から責めて来られる小侍従は困りながらしまいにある隙《すき》のある日を見つけて衛門督へ知らせてやった。督は喜びながら目だたぬふうを作って小侍従を訪《たず》ねて行った。衛門督自身もこの行動の正しくないことは知っているのであるが、物越しの御様子に触れては物思いがいっそうつのるはずの明日までは考えずに、ただほのかに宮のお召し物の褄先《つまさき》の重なりを見るにすぎなかったかつての春の夕べばかりを幻に見る心を慰めるためには、接近して行って自身の胸中をお伝えして、それからは一行の文《ふみ》のお返事を得ることにもなればというほどの考えで、宮が憐《あわれ》んでくださるかもしれぬというはかない希望をいだいている衛門督でしかなかった。これは四月十幾日のことである。明日は賀茂《かも》の斎院の御禊《みそぎ》のある日で、御|姉妹《きょうだい》の斎院のために儀装車に乗せてお出しになる十二人の女房があって、その選にあたった若い女房とか、童女とかが、縫い物をしたり、化粧をしたりしている一方では、自身らどうしで明日の見物に出ようとする者もあって、仕度《したく》に大騒ぎをしていて、宮のお居間のほうにいる女房の少ない時で、おそばにいるはずの按察使《あぜち》の君も時々通って来る源中将が無理に部屋のほうへ呼び寄せたので、この小侍従だけがお付きしているのであった。よいおりであると思って、静かに小侍従はお帳台の中の東の端へ衛門督の席を作ってやった。これは乱暴な計らいである。宮は何心もなく寝ておいでになったのであるが、男が近づいて来た気配《けはい》をお感じになって、院がおいでになったのかとお思いになると、その男はかしこまった様子を見せて、帳台の床の上から宮を下へ抱きおろそうとしたから、夢の中でものに襲われているのかとお思いになって、しいてその者を見ようとあそばすと、それは男であるが院とは違った男であった。これまで聞いたこともおありにならぬような話を、その男はくどくどと語った。宮は気味悪くお思いになって、女房をお呼びになったが、お居間にはだれもいなかったからお声を聞きつけて寄って来る者もない。宮はお慄《ふる》い出しになって、水のような冷たい汗もお身体《からだ》に流しておいでになる。失心したようなこの姿が非常に御|可憐《かれん》であった。
「私はつまらぬ者ですが、それほどお憎まれするのが至当だとは思われません。昔からもったいない恋を私はいだいておりましたが、結局そのままにしておけば闇《やみ》の中で始末もできたのですが、あなた様をお望み申すことを発言いたしましたために、院のお耳にはいり、その際はもってのほかのこととも院は仰せられませんでした。それも私の地位の低さにあなた様を他へお渡しする結果になりました時、私の心に受けました打撃はどんなに大きかったでしょう。もうただ今になってはかいのないことを知っておりまして、こうした行動に出ますことは慎んでいたのですが、どれほどこの失恋の悲しみは私の心に深く食い入っていたのか、年月がたてばたつほど口惜《くちお》しく恨めしい思いがつのっていくばかりで、恐ろしいことも考えるようになりました。またあなた様を思う心もそれとともに深くなるばかりでございました。私はもう感情を抑制することができなくなりまして、こんな恥ずかしい姿であるまじい所へもまいり
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