である明石《あかし》夫人は、養祖母に任せきりにして、産湯《うぶゆ》の仕度《したく》などにばかりかかっていた。東宮|宣下《せんげ》の際の宣旨拝受の役を勤めた典侍《ないしのすけ》がお湯をお使わせするのであった。迎え湯を盥《たらい》へ注《つ》ぎ入れる役を明石の勤めるのも気の毒で淑景舎《しげいしゃ》の方の生母がこの人であることは知らないこともない東宮がたの女房たちは目をとめて、どこかに欠点でもある人なら当然のこととも思っておられようが、あまりに気高《けだか》い明石の姿はこの人たちに畏敬《いけい》の念を起こさせて、未来の天子の御外祖母たる因縁を身に備えて生まれた人に違いないというようなことも思わせた。お湯殿の式のくわしい記事は省略する。
 六日めに以前の南の町の御殿へ桐壺の方は移った。七日の夜には宮中からのお産養《うぶやしない》があった。朱雀《すざく》院が世捨て人の御境遇へおはいりになったために、そのお代わりにあそばされたことであったらしい。宮中から頭の弁が宣旨で来て、この日の派手《はで》な祝宴を管理した。纏頭《てんとう》の品々は中宮のお志で慣例以上の物が出された。親王がた、諸大臣家からもわれも
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