いくにつけて、この人の母である夫人と、伊勢《いせ》の御息所《みやすどころ》との双方の自尊心が強くて苦しく競い合った時代に次いで、中宮とこの大将が双方とも、院の大きい愛のもとでりっぱなかたがたになられたことが思わせられる。この日大将から院へ奉った衣服類は花散里夫人が引き受けて作ったのである。纏頭の物は皆三条の若夫人の手でできたようであった。六条院のはなやかな催し事もよそのことに聞いていた花散里夫人には、こうした生きがいのある働きをする日はあることかと思われたものであるが、大将の母儀《ぼぎ》になっていることによって光栄が分かたれたのである。
新年になった。六条院では淑景舎《しげいしゃ》の方《かた》の産期が近づいたために不断の読経《どきょう》が元日から始められていた。諸社、諸寺でも数知れぬ祈祷《きとう》をさせておいでになるのである。院は昔の葵《あおい》夫人が出産のあとで死んだことで懲りておいでになって、恐ろしいものと子を産むことを感じておいでになり、紫夫人に出産のなかったことは物足らぬお気持ちもしながらまたうれしくお思われにもなるのであったから、まだ少女といってよいほどの身体《からだ》で、
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