遜《けんそん》なお言葉であった。
帝《みかど》はこの右大将を表面の主催者として院の四十の賀の最後の宴を北東の町の花散里《はなちるさと》夫人の住居《すまい》に設けられた。派手《はで》になることを院は避けようとされたのであったが、宮中の御内命によって行なわれるこの賀宴は、すべて正式どおりに略したところのないすばらしいものになった。幾つかの宴席の料理の仕度《したく》などは内廷からされた。屯食《とんじき》の用意などはお指図《さしず》を受けて頭《とうの》中将が皆したのである。親王お五方《いつかた》、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、参議五人、これだけが参列して、御所の殿上役人、東宮、院の殿上人もほとんど皆集まって参っていた。院のお席の物、その室に備えられた道具類は太政大臣が聖旨を奉じて最高の技術者に製作させた物であった、そしてお言葉を受けてこの大臣もお式の場へ臨んだ。院はこれにもお驚きになって恐縮の意を表されながら式の座へお着きになった。中央の室に南面された院のお席に向き合って太政大臣の座があった。きれいで、りっぱによく肥《ふと》っていて、位人臣をきわめた貫禄《かんろく》の見える男盛りと見え
前へ
次へ
全131ページ中82ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング