夫人をなだめて翌日はずっとそばを離れずにおいでになったあとでは、夜になっても宮のほうへお行きになれずに手紙だけをお送りになった。
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今暁《けさ》の雪に健康をそこねて苦しい気がしますから、気楽な所で養生をしようと思います。
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というのであった。乳母《めのと》の、
「そのとおりに申し上げました」
という言葉を使いが聞いて来た。平凡な返事であると院はお思いになった。朱雀《すざく》院がどうお思いになるかということが気がかりであるから、当分はあちらを立てるようにしておきたいと院はお思いになっても、実行に伴う苦痛が堪えがたく、なんということであろうと悲しんでおいでになった。夫人も、
「あちらへ御同情心の欠けたことでございますよ」
と言いつつ自分の立場を苦しんでいた。次の日はこれまでのとおりに自室でお目ざめになって、宮の御殿へ手紙をお書きになるのであった。晴れがましくは少しもお思いにならぬ相手ではあったが、筆を選んで白い紙へ、
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中道を隔つるほどはなけれども心乱るる今朝《けさ》のあは雪
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と書いて、梅の枝へお付けになった。侍をお呼びになって、
「西の渡殿のほうから参って差し上げるように」
とお命じになった。そして院はそのまま縁に近い座敷で庭をながめておいでになった。白い服をお召しになって、梅の枝の残りを手にまさぐっておいでになるのである。仲間を待つ雪がほのかに白く残っている上に新しい雪も散っていた。若やかな声で鶯《うぐいす》が近いところの紅梅の梢《こずえ》で鳴くのがお耳にはいって、「袖《そで》こそ匂《にほ》へ」(折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鶯ぞ啼《な》く)と口ずさんで、花をお持ちになった手を袖に引き入れながら、御簾《みす》を掲げて外を見ておいでになる姿は、ゆめにも院などという御位《みくらい》の方とは見えぬ若々しさである。寝殿から来るお返事が手間どるふうであったから、院は居室《いま》のほうへおいでになって夫人に梅の花をお見せになった。
「花であればこれだけの香気を持ちたいものですね。桜の花にこの香《かおり》があればその他の花は皆捨ててしまうでしょうね。こればかりがよくなって」
「この花もただ今でこそ唯一の花で、梅はよいものだと思われるのですよ。春の百花の盛りにほかの
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