から2字下げ]
巣隠れて数にもあらぬ雁《かり》の子をいづ方にかはとりかくすべき
[#ここから1字下げ]
御機嫌《ごきげん》をそこねておりますようですからこんなことを申し上げます。風流の真似《まね》をいたし過ぎるかもしれません。
[#ここで字下げ終わり]
大将の書いたものはこうであった。
「この人が戯談《じょうだん》風に書いた手紙というものは珍品だ」
と源氏は笑ったが、心の中では玉鬘をわが物顔に言っているのを憎んだ。
もとの大将夫人は月日のたつにしたがって憂鬱《ゆううつ》になって、放心状態でいることも多かった。生活費などはこまごまと行き届いた仕送りを大将はしていた。子供たちをも以前と同じように大事がって育てていたから、前夫人の心は良人《おっと》からまったく離れず唯一の頼みにもしていた。大将は姫君を非常に恋しがって逢いたく思うのであったが、宮家のほうでは少しもそれを許さない。少女の心には自身の愛する父を祖父も祖母も皆口をそろえて悪く言い、ますます逢わせてもらう可能性がなくなっていくのを心細がっていた。男の子たちは始終|訪《たず》ねて来て、尚侍《ないしのかみ》の様子なども話して、
「私たちなどもかわいがってくださる。毎日おもしろいことをして暮らしていらっしゃる」
などと言っているのを夫人は聞いて、うらやましくて、そんなふうな朗らかな心持ちで人生を楽しく見るようなことをすればできたものを、できなかった自身の性格を悲しがっていた。男にも女にも物思いをさせることの多い尚侍である。
その十一月には美しい子供さえも玉鬘《たまかずら》は生んだ。大将は何事も順調に行くと喜んで、愛妻から生まれた子供を大事にしていた。産屋《うぶや》の祝いの派手《はで》に行なわれた様子などは書かないでも読者は想像するがよい。内大臣も玉鬘の幸福であることに満足していた。大将の大事にする長男、二男にも今度の幼児の顔は劣っていなかった。頭《とうの》中将も兄弟としてこの尚侍をことに愛していたが、幸福であると無条件で喜んでいる大臣とは違って、少し尚侍のその境遇を物足りなく考えていた。尚侍として君側に侍した場合を想像していて、生まれた大将の三男の美しい顔を見ても、
「今まで皇子がいらっしゃらない所へ、こんな小皇子をお生み申し上げたら、どんなに家門の名誉になることだろう」
となおこの上のことを言って残念がっ
前へ
次へ
全26ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング