の垂《た》れ絹を横へ引いてまたこまやかにささやいた。いよいよ出かける時に源氏が一度振り返って見ると、冷静にしていた明石も、この時は顔を出して見送っていた。源氏の美は今が盛りであると思われた。以前は痩《や》せて背丈《せたけ》が高いように見えたが、今はちょうどいいほどになっていた。これでこそ貫目のある好男子になられたというものであると女たちがながめていて、指貫《さしぬき》の裾《すそ》からも愛嬌《あいきょう》はこぼれ出るように思った。解官されて源氏について漂泊《さすら》えた蔵人《くろうど》もまた旧《もと》の地位に復《かえ》って、靫負尉《ゆぎえのじょう》になった上に今年は五位も得ていたが、この好青年官人が源氏の太刀《たち》を取りに戸口へ来た時に、御簾《みす》の中に明石のいるのを察して挨拶《あいさつ》をした。
「以前の御厚情を忘れておりませんが、失礼かと存じますし、浦風に似た気のいたしました今暁の山風にも、御挨拶を取り次いでいただく便《びん》もございませんでしたから」
「山に取り巻かれておりましては、海べの頼りない住居《すまい》と変わりもなくて、松も昔の(友ならなくに)と思って寂しがっておりましたが、昔の方がお供の中においでになって力強く思います」
 などと明石は言った。すばらしいものにこの人はなったものだ、自分だって恋人にしたいと思ったこともある女ではないかなどと思って、驚異を覚えながらも蔵人《くろうど》は、
「また別の機会に」
 と言って男らしく肩を振って行った。りっぱな風采《ふうさい》の源氏が静かに歩を運ぶかたわらで先払いの声が高く立てられた。源氏は車へ頭中将《とうのちゅうじょう》、兵衛督《ひょうえのかみ》などを陪乗させた。
「つまらない隠れ家を発見されたことはどうも残念だ」
 源氏は車中でしきりにこう言っていた。
「昨夜はよい月でございましたから、嵯峨《さが》のお供のできませんでしたことが口惜《くちお》しくてなりませんで、今朝《けさ》は霧の濃い中をやって参ったのでございます。嵐山《あらしやま》の紅葉《もみじ》はまだ早うございました。今は秋草の盛りでございますね。某朝臣《ぼうあそん》はあすこで小鷹狩《こたかがり》を始めてただ今いっしょに参れませんでしたが、どういたしますか」
 などと若い人は言った。
「今日はもう一日|桂《かつら》の院で遊ぶことにしよう」
 と源氏は言って、車をそのほうへやった。桂の別荘のほうではにわかに客の饗応《きょうおう》の仕度《したく》が始められて、鵜《う》飼いなども呼ばれたのであるがその人夫たちの高いわからぬ会話が聞こえてくるごとに海岸にいたころの漁夫の声が思い出される源氏であった。大井の野に残った殿上役人が、しるしだけの小鳥を萩《はぎ》の枝などへつけてあとを追って来た。杯がたびたび巡ったあとで川べの逍遥《しょうよう》を危《あや》ぶまれながら源氏は桂の院で遊び暮らした。月がはなやかに上ってきたころから音楽の合奏が始まった。絃楽のほうは琵琶《びわ》、和琴《わごん》などだけで笛の上手《じょうず》が皆選ばれて伴奏をした曲は秋にしっくり合ったもので、感じのよいこの小合奏に川風が吹き混じっておもしろかった。月が高く上ったころ、清澄な世界がここに現出したような今夜の桂の院へ、殿上人がまた四、五人連れで来た。殿上に伺候していたのであるが、音楽の遊びがあって、帝《みかど》が、
「今日は六日の謹慎日が済んだ日であるから、きっと源氏の大臣《おとど》は来るはずであるのだ、どうしたか」
 と仰せられた時に、嵯峨へ行っていることが奏されて、それで下された一人のお使いと同行者なのである。

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「月のすむ川の遠《をち》なる里なれば桂の影はのどけかるらん
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 うらやましいことだ」
 これが蔵人弁《くろうどのべん》であるお使いが源氏に伝えたお言葉である。源氏はかしこまって承った。清涼殿での音楽よりも、場所のおもしろさの多く加わったここの管絃楽に新来の人々は興味を覚えた。また杯が多く巡った。ここには纏頭《てんとう》にする物が備えてなかったために、源氏は大井の山荘のほうへ、
「たいそうでない纏頭の品があれば」
 と言ってやった。明石《あかし》は手もとにあった品を取りそろえて持たせて来た。衣服箱二荷であった。お使いの弁は早く帰るので、さっそく女装束が纏頭に出された。

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久方の光に近き名のみして朝夕霧も晴れぬ山ざと
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 というのが源氏の勅答の歌であった。帝の行幸を待ち奉る意があるのであろう。「中に生《お》ひたる」(久方の中におひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる)と源氏は古歌を口ずさんだ。源氏がまた躬恒《みつね》が「淡路にてあはとはるかに見し月の近き今宵《こよひ》はところがらかも」と不思議がった歌のことを言い出すと、源氏の以前のことを思って泣く人も出てきた。皆酔ってもいるからである。

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めぐりきて手にとるばかりさやけきや淡路の島のあはと見し月
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 これは源氏の作である。

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浮き雲にしばしまがひし月影のすみはつるよぞのどけかるべき
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 頭中将《とうのちゅうじょう》である。右大弁は老人であって、故院の御代《みよ》にも睦《むつ》まじくお召し使いになった人であるが、その人の作、

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雲の上の住みかを捨てて夜半《よは》の月いづれの谷に影隠しけん
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 なおいろいろな人の作もあったが省略する。歌が出てからは、人々は感情のあふれてくるままに、こうした人間の愛し合う世界を千年も続けて見ていきたい気を起こしたが、二条の院を出て四日目の朝になった源氏は、今日はぜひ帰らねばならぬと急いだ。一行にいろいろな物をかついだ供の人が加わった列は、霧の間を行くのが秋草の園のようで美しかった。近衛府《このえふ》の有名な芸人の舎人《とねり》で、よく何かの時には源氏について来る男に今朝も「その駒《こま》」などを歌わせたが、源氏をはじめ高官などの脱いで与える衣服の数が多くてそこにもまた秋の野の錦《にしき》の翻る趣があった。大騒ぎにはしゃぎにはしゃいで桂の院を人々の引き上げて行く物音を大井の山荘でははるかに聞いて寂しく思った。言《こと》づてもせずに帰って行くことを源氏は心苦しく思った。
 二条の院に着いた源氏はしばらく休息をしながら夫人に嵯峨《さが》の話をした。
「あなたと約束した日が過ぎたから私は苦しみましたよ。風流男どもがあとを追って来てね、あまり留めるものだからそれに引かれていたのですよ。疲れてしまった」
 と言って源氏は寝室へはいった。夫人が気むずかしいふうになっているのも気づかないように源氏は扱っていた。
「比較にならない人を競争者ででもあるように考えたりなどすることもよくないことですよ。あなたは自分は自分であると思い上がっていればいいのですよ」
 と源氏は教えていた。日暮れ前に参内しようとして出かけぎわに、源氏は隠すように紙を持って手紙を書いているのは大井へやるものらしかった。こまごまと書かれている様子がうかがわれるのであった。侍を呼んで小声でささやきながら手紙を渡す源氏を女房たちは憎く思った。その晩は御所で宿直《とのい》もするはずであるが、夫人の機嫌《きげん》の直っていなかったことを思って、夜はふけていたが源氏は夫人をなだめるつもりで帰って来ると、大井の返事を使いが持って来た。隠すこともできずに源氏は夫人のそばでそれを読んだ。夫人を不愉快にするようなことも書いてなかったので、
「これを破ってあなたの手で捨ててください。困るからね、こんな物が散らばっていたりすることはもう私に似合ったことではないのだからね」
 と夫人のほうへそれを出した源氏は、脇息《きょうそく》によりかかりながら、心のうちでは大井の姫君が恋しくて、灯《ひ》をながめて、ものも言わずにじっとしていた。手紙はひろがったままであるが、女王《にょおう》が見ようともしないのを見て、
「見ないようにしていて、目のどこかであなたは見ているじゃありませんか」
 と笑いながら夫人に言いかけた源氏の顔にはこぼれるような愛嬌《あいきょう》があった。夫人のそばへ寄って、
「ほんとうはね、かわいい子を見て来たのですよ。そんな人を見るとやはり前生の縁の浅くないということが思われたのですがね、とにかく子供のことはどうすればいいのだろう。公然私の子供として扱うことも世間へ恥ずかしいことだし、私はそれで煩悶《はんもん》しています。いっしょにあなたも心配してください。どうしよう、あなたが育ててみませんか、三つになっているのです。無邪気なかわいい顔をしているものだから、どうも捨てておけない気がします。小さいうちにあなたの子にしてもらえば、子供の将来を明るくしてやれるように思うのだが、失敬だとお思いにならなければあなたの手で袴着《はかまぎ》をさせてやってください」
 と源氏は言うのであった。
「私を意地悪な者のようにばかり決めておいでになって、これまでから私には大事なことを皆隠していらっしゃるものですもの、私だけがあなたを信頼していることも改めなければならないとこのごろは私思っています。けれども私は小さい姫君のお相手にはなれますよ。どんなにおかわいいでしょう、その方ね」
 と言って、女王は少し微笑《ほほえ》んだ。夫人は非常に子供好きであったから、その子を自分がもらって、その子を自分が抱いて、大事に育ててみたいと思った。どうしよう、そうは言ったもののここへつれて来たものであろうかと源氏はまた煩悶《はんもん》した。
 源氏が大井の山荘を訪うことは困難であった。嵯峨《さが》の御堂《みどう》の念仏の日を待ってはじめて出かけられるのであったから、月に二度より逢《あ》いに行く日はないわけである。七夕《たなばた》よりは短い期間であっても女にとっては苦しい十五日が繰り返されていった。



底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年6月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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