いも跡かたなくなってしまう気がして微笑《ほほえ》んでいた。東の渡殿《わたどの》の下をくぐって来る流れの筋を仕変えたりする指図《さしず》に、源氏は袿《うちぎ》を引き掛けたくつろぎ姿でいるのがまた尼君にはうれしいのであった。仏の閼伽《あか》の具などが縁に置かれてあるのを見て、源氏はその中が尼君の部屋であることに気がついた。
「尼君はこちらにおいでになりますか。だらしのない姿をしています」
 と言って、源氏は直衣《のうし》を取り寄せて着かえた。几帳《きちょう》の前にすわって、
「子供がよい子に育ちましたのは、あなたの祈りを仏様がいれてくだすったせいだろうとありがたく思います。俗をお離れになった清い御生活から、私たちのためにまた世の中へ帰って来てくだすったことを感謝しています。明石ではまた一人でお残りになって、どんなにこちらのことを想像して心配していてくださるだろうと済まなく私は思っています」
 となつかしいふうに話した。
「一度捨てました世の中へ帰ってまいって苦しんでおります心も、お察しくださいましたので、命の長さもうれしく存ぜられます」
 尼君は泣きながらまた、
「荒磯《あらいそ》かげに心
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