て、車をそのほうへやった。桂の別荘のほうではにわかに客の饗応《きょうおう》の仕度《したく》が始められて、鵜《う》飼いなども呼ばれたのであるがその人夫たちの高いわからぬ会話が聞こえてくるごとに海岸にいたころの漁夫の声が思い出される源氏であった。大井の野に残った殿上役人が、しるしだけの小鳥を萩《はぎ》の枝などへつけてあとを追って来た。杯がたびたび巡ったあとで川べの逍遥《しょうよう》を危《あや》ぶまれながら源氏は桂の院で遊び暮らした。月がはなやかに上ってきたころから音楽の合奏が始まった。絃楽のほうは琵琶《びわ》、和琴《わごん》などだけで笛の上手《じょうず》が皆選ばれて伴奏をした曲は秋にしっくり合ったもので、感じのよいこの小合奏に川風が吹き混じっておもしろかった。月が高く上ったころ、清澄な世界がここに現出したような今夜の桂の院へ、殿上人がまた四、五人連れで来た。殿上に伺候していたのであるが、音楽の遊びがあって、帝《みかど》が、
「今日は六日の謹慎日が済んだ日であるから、きっと源氏の大臣《おとど》は来るはずであるのだ、どうしたか」
と仰せられた時に、嵯峨へ行っていることが奏されて、それで下された一人のお使いと同行者なのである。
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「月のすむ川の遠《をち》なる里なれば桂の影はのどけかるらん
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うらやましいことだ」
これが蔵人弁《くろうどのべん》であるお使いが源氏に伝えたお言葉である。源氏はかしこまって承った。清涼殿での音楽よりも、場所のおもしろさの多く加わったここの管絃楽に新来の人々は興味を覚えた。また杯が多く巡った。ここには纏頭《てんとう》にする物が備えてなかったために、源氏は大井の山荘のほうへ、
「たいそうでない纏頭の品があれば」
と言ってやった。明石《あかし》は手もとにあった品を取りそろえて持たせて来た。衣服箱二荷であった。お使いの弁は早く帰るので、さっそく女装束が纏頭に出された。
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久方の光に近き名のみして朝夕霧も晴れぬ山ざと
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というのが源氏の勅答の歌であった。帝の行幸を待ち奉る意があるのであろう。「中に生《お》ひたる」(久方の中におひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる)と源氏は古歌を口ずさんだ。源氏がまた躬恒《みつね》が「淡路にてあはとはるかに見し月の近き今
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