。
「桂《かつら》に私が行って指図《さしず》をしてやらねばならないことがあるのですが、それをそのままにして長くなっています。それに京へ来たら訪ねようという約束のしてある人もその近くへ上って来ているのですから、済まない気がしますから、そこへも行ってやります。嵯峨野《さがの》の御堂《みどう》に何もそろっていない所にいらっしゃる仏様へも御|挨拶《あいさつ》に寄りますから二、三日は帰らないでしょう」
夫人は桂の院という別荘の新築されつつあることを聞いたが、そこへ明石の人を迎えたのであったかと気づくとうれしいこととは思えなかった。
「斧《おの》の柄を新しくなさらなければ(仙人《せんにん》の碁を見物している間に、時がたって気がついてみるとその樵夫《きこり》の持っていた斧の柄は朽ちていたという話)ならないほどの時間はさぞ待ち遠いことでしょう」
不愉快そうなこんな夫人の返事が源氏に伝えられた。
「また意外なことをお言いになる。私はもうすっかり昔の私でなくなったと世間でも言うではありませんか」
などと言わせて夫人の機嫌《きげん》を直させようとするうちに昼になった。
微行《しのび》で、しかも前駆には親しい者だけを選んで源氏は大井へ来た。夕方前である。いつも狩衣《かりぎぬ》姿をしていた明石時代でさえも美しい源氏であったのが、恋人に逢うがために引き繕った直衣《のうし》姿はまばゆいほどまたりっぱであった。女のした長い愁《うれ》いもこれに慰められた。源氏は今さらのようにこの人に深い愛を覚えながら、二人の中に生まれた子供を見てまた感動した。今まで見ずにいたことさえも取り返されない損失のように思われる。左大臣家で生まれた子の美貌《びぼう》を世人はたたえるが、それは権勢に目がくらんだ批評である。これこそ真の美人になる要素の備わった子供であると源氏は思った。無邪気な笑顔《えがお》の愛嬌《あいきょう》の多いのを源氏は非常にかわいく思った。乳母《めのと》も明石へ立って行ったころの衰えた顔はなくなって美しい女になっている。今日までのことをいろいろとなつかしいふうに話すのを聞いていた源氏は、塩焼き小屋に近い田舎《いなか》の生活をしいてさせられてきたのに同情するというようなことを言った。
「ここだってまだずいぶんと遠すぎる。したがって私が始終は来られないことになるから、やはり私があなたのために用意した所
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