石山寺へ願ほどきに参詣《さんけい》する日であった。京から以前|紀伊守《きいのかみ》であった息子《むすこ》その他の人が迎えに来ていて源氏の石山|詣《もう》でを告げた。途中が混雑するであろうから、こちらは早く逢坂山を越えておこうとして、常陸介は夜明けに近江《おうみ》の宿を立って道を急いだのであるが、女車が多くてはかがゆかない。打出《うちで》の浜を来るころに、源氏はもう粟田山《あわたやま》を越えたということで、前駆を勤めている者が無数に東へ向かって来た。道を譲るくらいでは済まない人数なのであったから、関山で常陸の一行は皆下馬してしまって、あちらこちらの杉《すぎ》の下に車などを舁《かつ》ぎおろして、木の間にかしこまりながら源氏の通過を目送しようとした。女車も一部分はあとへ残し、一部分は先へやりなどしてあったのであるが、なおそれでも族類の多い派手《はで》な地方長官の一門と見えた。そこには十台ほどの車があって、外に出した袖《そで》の色の好みは田舎《いなか》びずにきれいであった。斎宮《さいぐう》の下向《げこう》の日に出る物見車が思われた。源氏の光がまた発揮される時代になっていて、希望して来た多数の随
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