物を引き出して退屈しのぎにしていた。古歌などもよい作を選《よ》って、端書きも作者の名も書き抜いて置いて見るのがおもしろいのであるが、この人は古紙屋紙《ふるかんやがみ》とか、檀紙《だんし》とかの湿り気を含んで厚くなった物などへ、だれもの知っている新味などは微塵《みじん》もないようなものの書き抜いてしまってあるのを、物思いのつのった時などには出して拡《ひろ》げていた。今の婦人がだれもするように経を読んだり仏勤めをしたりすることは生意気だと思うのかだれも見る人はないのであるが、数珠《じゅず》を持つようなことは絶対にない。こんなふうに末摘花は古典的であった。
侍従という乳母《めのと》の娘などは、主家を離れないで残っている女房の一人であったが、以前から半分ずつは勤めに出ていた斎院がお亡《か》くれになってからは、侍従もしかたなしに女王《にょおう》の母君の妹で、その人だけが身分違いの地方官の妻になっている人があって、娘をかしずいて、若いよい女房を幾人でもほしがる家へ、そこは死んだ母もおりふし行っていた所であるからと思って、時々そこへ行って勤めていた。末摘花は人に親しめない性格であったから、叔母《おば》ともあまり交際をしなかった。
「お姉様は私を軽蔑《けいべつ》なすって、私のいることを不名誉にしていらっしゃったから、姫君が気の毒な一人ぼっちでも私は世話をしてあげないのだよ」
などという悪態口も侍従に聞かせながら、時々侍従に手紙を持たせてよこした。初めから地方官級の家に生まれた人は、貴族をまねて、思想的にも思い上がった人になっている者も多いのに、この夫人は貴族の出でありながら、下の階級へはいって行く運命を生まれながらに持っていたものか、卑しい性格の叔母君であった。自身が、家門の顔汚しのように思われていた昔の腹いせに、常陸《ひたち》の宮の女王を自身の娘たちの女房にしてやりたい、昔風なところはあるが気だてのよい後見役ができるであろうとこんなことを思って、
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時々私の宅へもおいでくだすったらいかがですか。あなたのお琴の音《ね》も伺いたがる娘たちもおります。
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と言って来た。これを実現させようと叔母は侍従にも促すのであるが、末摘花は負けじ魂からではなく、ただ恥ずかしくきまりが悪いために、叔母の招待に応じようとしないのを、叔母のほうではくやし
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