違いないのだから、それをつまらない家の装飾品になどさせてよいわけはない。お父様のお心持ちを無視することになるからね、お父様がおかわいそうだ」
ただ少しの助力でもしようとする人をも持たない女王であった。兄の禅師《ぜんじ》だけは稀《まれ》に山から京へ出た時に訪《たず》ねて来るが、その人も昔風な人で、同じ僧といっても生活する能力が全然ない、脱俗したとほめて言えば言えるような男であったから、庭の雑草を払わせればきれいになるものとも気がつかない。浅茅《あさじ》は庭の表も見えぬほど茂って、蓬《よもぎ》は軒の高さに達するほど、葎《むぐら》は西門、東門を閉じてしまったというと用心がよくなったようにも聞こえるが、くずれた土塀《どべい》は牛や馬が踏みならしてしまい、春夏には無礼な牧童が放牧をしに来た。八月に野分《のわき》の風が強かった年以来廊などは倒れたままになり、下屋の板葺《いたぶ》きの建物のほうはわずかに骨が残っているだけ、下男などのそこにとどまっている者はない。廚《くりや》の煙が立たないでなお生きた人が住んでいるという悲しい邸《やしき》である。盗人というようながむしゃらな連中も外見の貧弱さに愛想《あいそ》をつかせて、ここだけは素通りにしてやって来なかったから、こんな野良藪《のらやぶ》のような邸の中で、寝殿《しんでん》だけは昔通りの飾りつけがしてあった。しかしきれいに掃除《そうじ》をしようとするような心がけの人もない。埃《ちり》は積もってもあるべき物の数だけはそろった座敷に末摘花《すえつむはな》は暮らしていた。古い歌集を読んだり、小説を見たりすることでつれづれが慰められることにもなるし、物質的に不足の多い境遇も忍んで行けるのであるが、末摘花はそんな趣味も持っていない。それは必ずしもよいことではないが、暇な女性の間で友情を盛った手紙を書きかわすことなどは、多感な年ごろではそれによって自然の見方も深くなっていき、木や草にも慰められることにもなるが、この女王は父宮が大事にお扱いになった時と同じ心持ちでいて、普通の人との交際はいっさい避けて友人を持っていないのである。親戚関係があっても親しもうとせず、好意を寄せようとしない態度は手紙を書かぬ所にうかがわれもするのである。古くさい書物|棚《だな》から、唐守《からもり》、藐姑射《はこや》の刀自《とじ》、赫耶姫《かぐやひめ》物語などを絵に描いた
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