てその人の影すらもない。ただ目の前にあるのは淡路《あわじ》の島であった。「泡《あわ》とはるかに見し月の」などと源氏は口ずさんでいた。

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泡と見る淡路の島のあはれさへ残るくまなく澄める夜の月
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 と歌ってから、源氏は久しく触れなかった琴を袋から出して、はかないふうに弾《ひ》いていた。惟光《これみつ》たちも源氏の心中を察して悲しんでいた。源氏は「広陵《こうりょう》」という曲を細やかに弾いているのであった。山手の家のほうへも松風と波の音に混じって聞こえてくる琴の音に若い女性たちは身にしむ思いを味わったことであろうと思われる。名手の弾く琴も何も聞き分けえられそうにない土地の老人たちも、思わず外へとび出して来て浜風を引き歩いた。入道も供養法を修していたが、中止することにして、急いで源氏の居間へ来た。
「私は捨てた世の中がまた恋しくなるのではないかと思われますほど、あなた様の琴の音で昔が思い出されます。また死後に参りたいと願っております世界もこんなのではないかという気もいたされる夜でございます」
 入道は泣く泣くほめたたえていた。源氏自身も心に、お
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