た。
 須磨は日の永《なが》い春になってつれづれを覚える時間が多くなった上に、去年植えた若木の桜の花が咲き始めたのにも、霞《かす》んだ空の色にも京が思い出されて、源氏の泣く日が多かった。二月二十幾日である、去年京を出た時に心苦しかった人たちの様子がしきりに知りたくなった。また院の御代《みよ》の最後の桜花の宴の日の父帝、艶《えん》な東宮時代の御兄陛下のお姿が思われ、源氏の詩をお吟じになったことも恋しく思い出された。

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いつとなく大宮人《おほみやびと》の恋しきに桜かざしし今日も来にけり
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 と源氏は歌った。
 源氏が日を暮らし侘《わ》びているころ、須磨の謫居《たっきょ》へ左大臣家の三位《さんみ》中将が訪《たず》ねて来た。現在は参議になっていて、名門の公子でりっぱな人物であるから世間から信頼されていることも格別なのであるが、その人自身は今の社会の空気が気に入らないで、何かのおりごとに源氏が恋しくなるあまりに、そのことで罰を受けても自分は悔やまないと決心してにわかに源氏と逢うために京を出て来たのである。親しい友人であって、しかも長く相見る時を得
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