涙を流していた。漢帝が北夷《ほくい》の国へおつかわしになった宮女の琵琶《びわ》を弾いてみずから慰めていた時の心持ちはましてどんなに悲しいものであったであろう、それが現在のことで、自分の愛人などをそうして遠くへやるとしたら、とそんなことを源氏は想像したが、やがてそれが真実のことのように思われて来て、悲しくなった。源氏は「胡角一声霜後夢《こかくいっせいそうごのゆめ》」と王昭君《おうしょうくん》を歌った詩の句が口に上った。月光が明るくて、狭い家は奥の隅々《すみずみ》まで顕《あら》わに見えた。深夜の空が縁側の上にあった。もう落ちるのに近い月がすごいほど白いのを見て、「唯是西行不左遷《ただこれにしへゆくさせんにあらず》」と源氏は歌った。

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何方《いづかた》の雲路にわれも迷ひなん月の見るらんことも恥《はづ》かし
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 とも言った。例のように源氏は終夜眠れなかった。明け方に千鳥が身にしむ声で鳴いた。

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友千鳥|諸声《もろごゑ》に鳴く暁は一人|寝覚《ねざ》めの床《とこ》も頼もし
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 だれもまだ起きた影がな
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