などに絵を描《か》いたりした。その絵を屏風《びょうぶ》に貼《は》らせてみると非常におもしろかった。源氏は京にいたころ、風景を描くのに人の話した海陸の好風景を想像して描いたが、写生のできる今日になって描かれる絵は生き生きとした生命《いのち》があって傑作が多かった。
「現在での大家だといわれる千枝《ちえだ》とか、常則《つねのり》とかいう連中を呼び寄せて、ここを密画に描かせたい」
 とも人々は言っていた。美しい源氏と暮らしていることを無上の幸福に思って、四、五人はいつも離れずに付き添っていた。庭の秋草の花のいろいろに咲き乱れた夕方に、海の見える廊のほうへ出てながめている源氏の美しさは、あたりの物が皆|素描《あらがき》の画《え》のような寂しい物であるだけいっそう目に立って、この世界のものとは思えないのである。柔らかい白の綾《あや》に薄紫を重ねて、藍《あい》がかった直衣《のうし》を、帯もゆるくおおように締めた姿で立ち「釈迦牟尼仏弟子《しゃかむにぶつでし》」と名のって経文を暗誦《そらよ》みしている声もきわめて優雅に聞こえた。幾つかの船が唄声《うたごえ》を立てながら沖のほうを漕《こ》ぎまわっていた。
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