宮へとの手紙は容易に書けなかった。宮へは、

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松島のあまの苫屋《とまや》もいかならん須磨の浦人しほたるる頃《ころ》

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いつもそうでございますが、ことに五月雨にはいりましてからは、悲しいことも、昔の恋しいこともひときわ深く、ひときわ自分の世界が暗くなった気がいたされます。
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 というのであった。尚侍《ないしのかみ》の所へは、例のように中納言の君への私信のようにして、その中へ入れたのには、
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流人《るにん》のつれづれさに昔の追想されることが多くなればなるほど、お逢いしたくてならない気ばかりがされます。

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こりずまの浦のみるめのゆかしきを塩焼くあまやいかが思はん
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 と書いた。なお言葉は多かった。左大臣へも書き、若君の乳母《めのと》の宰相の君へも育児についての注意を源氏は書いて送った。
 京では須磨の使いのもたらした手紙によって思い乱れる人が多かった。二条の院の女王《にょおう》は起き上がることもできないほどの衝撃を受けたのである。焦《こが》れて泣く女
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